東大宮のマクドナルド
私の哲学講義は、「東大宮にマクドナルドがあるのを知っているか?」の一言で始まる。毎年恒例になっているため、学生からはドッと笑いが出る。芝浦工業大学の大宮校舎に通うにはJR東大宮駅を利用するが、東大宮は住宅地であるため駅は小さい。
改札口を出て右に曲がり東口へと階段を下りていくと、ターミナルに多くのパトカーが停まっていて驚く。しかし運転手はどう見ても警官ではない。そう白黒のツートンカラーのタクシーなのだ。いきなりパンチを食らう。ターミナルは小さいながら、ミスター・ドーナツと松屋、それにコンビニ2軒がある。学バスの所要時間は10分程度、途中モスバーガーがある。まあ使えるなと思いながら大学に着く。
途中、マクドナルドはどこにもない。マックドナルドの日本1号店は銀座三越に出店したように、日本マクドナルドの戦略は大きな駅の目立つところにつくることだ。東大宮は住宅地であり、駅も小さい。しかも自分の目でマクドナルドがないことを確認している。私は東大宮にはマクドナルドは無いと判断した。それに対してモスバーガーの1号店は東武東上線の成増(東京都練馬区)に出店したように、モスバーガーは住宅地に多く展開した。そのモスバーガーが東大宮にある。東大宮は住宅地だからマクドナルドはなく、モスバーガーがあるのだなと再認識した。
私は初年度の授業初日、ミスター・ドーナツでドーナツを買っていて学バスに乗り遅れた。徒歩でも15~20分ぐらいで着く距離なので、私は歩き始めた。バス通から一つ奥に入った小道を歩き始めると、すぐ目の前に西友があった。マツキヨもあった。そして西友の駐輪場スペースにマクドナルドがあったのだ。この瞬間、「これって授業で使える」と思った。ここから私独自の哲学授業が始まった。
東大宮にマクドナルドがあるとは知らなかったときも、みんなの頭の中は合理的だった。マクドナルドがあるべきところが空白だったわけでも、矛盾が生じていたわけでもなかった。それはそうだ。東大宮と関係のない人にとっては、東大宮にマクドナルドがあっても無くても同じだ。頭の中に空白が生じるわけでも、矛盾が生じるわけでもない。
では東大宮にマクドナルドがあると知った後はどうだろう。やはり頭の中は合理的だ。そう、マクドナルドがあることを知っていても/知らなくても、どちらにしても頭の中は合理的だ。合理性だけを基準にして、物のある/ないを判断することはできない。合理性は客観性の判断基準にはならない。
そしてもうひとつ。私は日本マクドナルドとモスバーガーの戦略に違いを知っていたために、かえって東大宮にマクドナルドが無いと早合点してしまった。よくよく考えれば米国マクドナルドは国道沿いにあるものだ。最近ではショッピングモールにも展開している。人が多いところに、マクドナルドがあるのは当然のことだったのだ。「知識があるために、かえって見えないことがある。」これも哲学授業で使える。
さらにもうひとつ。東大宮にマクドナルドがあるという、なんでもないことでも、哲学授業のネタにしてしまえるということだ。日常的なことでも、切り口しだいでいくらでも面白くできることが分かる。なんでも「当たり前だよ」と言って流してしまっては、人生つまらない。やはり「常識を疑え!」だね。
改札口を出て右に曲がり東口へと階段を下りていくと、ターミナルに多くのパトカーが停まっていて驚く。しかし運転手はどう見ても警官ではない。そう白黒のツートンカラーのタクシーなのだ。いきなりパンチを食らう。ターミナルは小さいながら、ミスター・ドーナツと松屋、それにコンビニ2軒がある。学バスの所要時間は10分程度、途中モスバーガーがある。まあ使えるなと思いながら大学に着く。
途中、マクドナルドはどこにもない。マックドナルドの日本1号店は銀座三越に出店したように、日本マクドナルドの戦略は大きな駅の目立つところにつくることだ。東大宮は住宅地であり、駅も小さい。しかも自分の目でマクドナルドがないことを確認している。私は東大宮にはマクドナルドは無いと判断した。それに対してモスバーガーの1号店は東武東上線の成増(東京都練馬区)に出店したように、モスバーガーは住宅地に多く展開した。そのモスバーガーが東大宮にある。東大宮は住宅地だからマクドナルドはなく、モスバーガーがあるのだなと再認識した。
私は初年度の授業初日、ミスター・ドーナツでドーナツを買っていて学バスに乗り遅れた。徒歩でも15~20分ぐらいで着く距離なので、私は歩き始めた。バス通から一つ奥に入った小道を歩き始めると、すぐ目の前に西友があった。マツキヨもあった。そして西友の駐輪場スペースにマクドナルドがあったのだ。この瞬間、「これって授業で使える」と思った。ここから私独自の哲学授業が始まった。
東大宮にマクドナルドがあるとは知らなかったときも、みんなの頭の中は合理的だった。マクドナルドがあるべきところが空白だったわけでも、矛盾が生じていたわけでもなかった。それはそうだ。東大宮と関係のない人にとっては、東大宮にマクドナルドがあっても無くても同じだ。頭の中に空白が生じるわけでも、矛盾が生じるわけでもない。
では東大宮にマクドナルドがあると知った後はどうだろう。やはり頭の中は合理的だ。そう、マクドナルドがあることを知っていても/知らなくても、どちらにしても頭の中は合理的だ。合理性だけを基準にして、物のある/ないを判断することはできない。合理性は客観性の判断基準にはならない。
そしてもうひとつ。私は日本マクドナルドとモスバーガーの戦略に違いを知っていたために、かえって東大宮にマクドナルドが無いと早合点してしまった。よくよく考えれば米国マクドナルドは国道沿いにあるものだ。最近ではショッピングモールにも展開している。人が多いところに、マクドナルドがあるのは当然のことだったのだ。「知識があるために、かえって見えないことがある。」これも哲学授業で使える。
さらにもうひとつ。東大宮にマクドナルドがあるという、なんでもないことでも、哲学授業のネタにしてしまえるということだ。日常的なことでも、切り口しだいでいくらでも面白くできることが分かる。なんでも「当たり前だよ」と言って流してしまっては、人生つまらない。やはり「常識を疑え!」だね。
この記事へのコメント
東大を目指している者で、「東大入試で遊ぶ教養世界史編」を購入してから、今日初めてこのサイトを訪れました。
東大現代文の解説も丁寧なので、これからちょくちょく参考にさせて頂くつもりです。
実は、私の卒業した高校の最寄り駅が東大宮だったので、びっくりしてコメントした次第です(笑)。
では、失礼します。
しかも『東大入試で遊ぶ教養』世界史編を読んで頂いてのコメントとのことで、うれしく思います。
東大宮駅最寄りの高校出身ということなら、駅でお会いしているかもしれませんね。ただ、よくご存知なのは西口側だろうから、この記事の内容を見ても、いまひとつ面白みが分からなかったかもしれませんね。東大宮駅東口限定ネタですから。
東大現代文については、これから改訂版を連載する予定ですので、楽しみにしてください。予備校基準と大学基準の違いが分かるはずです。