1998年東大前期・国語第二問「社会人」

赤瀬川原平『社会人原論』より出典。
【内容】
社会人は領収書をもらう。社会人がなぜ領収書をもらうのかというと、税金を払っているからである。領収書がないと仕事上の必要経費として認めてもらえず、自分の出費になる。
ところが食事などの場合、仕事なのかプライベートなのか、ちょっと曖昧なことがある。またプライベートの場合でもとりあえず領収書をもらっておけば、いざというとき仕事上の経費として落とせるかもしれないと考えたりもする。その複雑な谷間を歩いていくのが社会人だ。
社会人どうしが食事をして、レジで支払いを済ませて、
「あのう領収書を…」
というのは難しい問題である。それをいうと相手は、
(ああ、ご馳走になったと思ったら、あれは会社の経費なんだな…)
ということになる。その一方、領収書をもらわないと、
(あれま、経費かと思ったらご馳走になっちゃったんだ、わるかったな…)
ということになる。
だからレジでの支払いをめぐっては社会人パワーの複雑な絡み合いが渦巻いているのであって、青二才にはそれが分からない。
しかも領収書の前に、支払いをめぐっても社会人としての暗闘がある。
「ここは私が」
「いやいや、私が」
とかいろいろあって、ここが社会人としての見せ場というか、その証しとなる場面である。
「いえいえ」
というのも社会人用語である。君の奥さん綺麗だね。
「いえいえ」
という具合にすぐ反応できるのが社会人である。
「とんでもありません」
というのも社会人用語にある。君の英語はうまいね。
「とんでもありません」
それからまた社会人用語としては、
「おっしゃる通りです」
がある。
「しかしジャイアンツの選手の取り方というのは、、どうも計画性がないというか」
「おっしゃる通りで、だから選手が全部つぶれていって…」
「ぼくはサード仁志でいってほしかったんだけど」
「おっしゃる通りで…」
これはぼくが都内のタクシーに乗ったときの会話。運転手の口から、「おっしゃる通り」がぽんぽん出てきて、ちょっと「いえいえ」という感じになってしまった。「とんでもありません」である。
社会人というのは、ふつうに、人に合わせて、ほどほどやっていると、それでもうとりあえず社会人だ。ふつうじゃなくて、もっと自己を主張して、常識なんかにとらわれないで、ということを表面ではいうけど、それはテレビのマイクを向けられた時だけで、ふつうはみんな社会人だ。

【解答例】
(ア)「いえいえ」には謙遜の意味が意味がこめられている。自分が一番だと思い込んでいると、自分を越えたものが出てきても、それを認められないだろう。謙遜する気持ちを持たなければ、他者を認められない尊大な人間になる。しかし現在「いえいえ」が安易に使用されている。「いえいえ」と言いながら本音では舌を出している。それはそれで賢い対処法なのだろうが、他者を認めないという点ではやはり尊大な態度である。
(イ)目上の人物に褒められたときに、後ずさりしながら「とんでもありません」とよく言う。出る杭は打たれる社会では、能ある鷹は爪を隠した方がいいようだ。しかし相手が本当に自分を引き立てようとしているなら、断り続けることの方が失礼だ。最初は「とんでもありません」と言いながらも相手の話をよく聞いて、もし本気であることが確かめられたら喜んで話を受ける。それが、相手のことを本当に立てたことになるだろう。
(ウ)「おっしゃる通りです」という言葉は、相手には逆らわないという服従の意味を持つ。しかし目上の人物がいつも正しいわけではない。本当に相手を思っているなら、間違いは指摘した方がいい。イエスマンばかりでは事態は悪くなる一方だ。それでも相手が間違っていることを真正面から指摘したら、相手も意固地になるだろう。そこで、「さらに…をすれば万全です」と付け加えて、相手を否定せずに自分の意見を言うといい。

【解答のコツ】
おそらく多くの解答が、オヤジ批判になっていたのではないかと思う。しかし、それでは面白くない。社会人の実態を知らずに社会人批判をしても、それは表面的な批判になる。実際に課題文がそうなっている。東大の採点官は、つねに自分たちが用意した模範解答よりもいい出来の解答を望んでいる。それなら、オヤジ批判で終わらせずに、オヤジ批判を越えた解答を作成しよう。
実はどのような物事にも長所と短所がある。現実の世界は、合理的に成り立っている頭の中の世界と違って、対立しあうものが実は互いに補い合う関係にあるという相補性の関係で成り立っている。本文で取り上げられている社会人用語「いえいえ」(傍線部ア)、「とんでもありません」(傍線部イ)、「おっしゃる通りです」(傍線部ウ)にも長所と短所がある。それにもかかわらず、短所だけ挙げているから表面的な批判になっている。
ここで評論文の重要な構文を思い出してほしい。「たしかに…しかし…」である。反対意見を一部認めた上で自分の意見を主張するという構文である。この構文が評論文で有効であるということは、物事には必ず長所と短所があり、現実世界では対立し合っているものが実は相互に補い合っていることを端的に示している。みんなもこの構文を利用すれば、深い内容の議論ができる。
「いえいえ」「とんでもありません」「おっしゃる通りです」のいずれも、もともとは謙遜の意味で使われていた。だから、それぞれの言葉にもきちんと長所がある。短所を指摘しながらも、相手を思いやるという長所に立ち返った議論をすることで、前向きな解答ができるはずだ。このような作文・小論文形式の問題では、批判で終わるのではなく、解決策を提示して前向きに終わる解答がいい。
(ア)「いえいえ」も「とんでもありません」も「おっしゃる通りです」も謙遜の意味で使われるため、どれを選んでも同じ解答になるが、「いえいえ」が対等な関係にある者に対する謙遜であることに気づけば、それだけでも他の受験生とは異なる内容が書けるだろう。
(イ)「とんでもありません」も謙遜の意味で用いるが、「いえいえ」に比べて謙遜の度合いが強く、自分が相手よりも優れていることを強く否定する。相手が目上のときに用いることが多いことに注目するといい。
(ウ)「おっしゃる通りです」には、相手の意見には絶対に逆らわないという意味がある。このことに気づけば、本当に逆らわないことが相手のためになるのか、というように議論を進めていくことができるので、深い内容で書けるだろう。

この記事へのコメント

tool
2011年06月28日 19:47
【内容】の最後の行
>向けられたよんあ時?
佐々木哲
2011年06月28日 20:52
「マイクを向けられた時だけ」の誤植です。ご指摘ありがとうございました。

この記事へのトラックバック