東大日本史・受験生の勘違い
大学で、面白いことが話のネタになったことがある。
それは数年前の早稲田大学でのことだが、日本経済史の授業で、江戸時代の農民の生活について説明したところ、学生から「先生は歴史がわかっていない」と言われたというのだ。どうも学生は小学校から受験時代まで、江戸時代の農民の生活は困窮を極めたと教わってきたらしい。しかし、近年の江戸時代の歴史像は大きく変わっている。江戸時代の経済が成熟していたことがわかってきているのだ。お触れで、お茶を飲んではいけません、贅沢をしてはいけません、旅行(物見遊山)をしてはいけません、と書いてあるということは、農民がそれらをしていたということだ。
ところが歴史を専門に勉強していない人たちは、学校の授業で教わる歴史は、確実な出来事であり、これからも変わらず正しくあり続けると思いがちだ。それでは歴史学という学問は成り立たない。歴史学者が歴史研究をしているのは、歴史像を変えるためだ。もちろん指導教授のコネで就職し、指導教授の教えを後生大事に守りながら、本を一冊も書かずに定年を迎える人たちもいる。しかし真面目な研究者は、歴史資料と向かい合いながら、これまでの歴史像を疑う作業をしている。それが、歴史学だ。
だから、去年まで正しかったことが、今年にはもう誤っているということはある。従来の歴史像が大きく変わるということは、よくあることなのだ。
一生懸命に過去問と模範解答を集めても、それが役に立たないことは多い。新しい事実がつぎつぎと発見される中で、過去には正解だったものが、現在には誤答になるのだ。
しかし、このことが分かっていないのは、学生だけではないらしい。参考書や問題集の模範解答を見ても分かってないと思えるものが多く、予備校の模範解答を見てもやはり分かってないと思えるものが多い。とくにベテランほど分かってないことが多い。自分が日本史を習ったときのままのことを教えているのだろう。
東大が予備校を信用していないということは、つぎの問題でも分かる。それは、1983年日本史第一問で、過去にいちど出題した「摂関政治と院政の政治形態の違いを、結婚形態の変化から論じる」という問題を、そのとき多かった解答例もいっしょに掲載して、再度出題した問題だ。これは、資料から推論していくという力が学生になかったことにがっかりするとともに、予備校の解答例があまりにお粗末だったからだ。予備校に対する挑戦状とも言える。
東大では、今でも社会の得点が低いといわれているようだ。予備校が、まだ東大論述対策に成功していないということだ。
そのことを分かっている受験生もいるようだ。真剣に東大に受かりたいと思っている受験生は、予備校などひとつの情報源だけを信じるということをしないで、あらゆる情報を集めて、自分の判断で情報を取捨選択している。また、受験参考書や問題集、予備校テキストだけではなく、歴史研究者が書いた日本史の教養書(大学教科書レベル)を読んでいる受験生もいる。実に頼もしい。
東大は、資料を見て自分の頭で考えて推論していく学生をほしがっている。東大の受験生には、ぜひ自分の頭で考える練習をしてほしい。過去問を多く集めただけでは駄目だし、模範解答を鵜呑みにしてもいけない。
過去に出たテーマが再び出題されたとしたら、それは研究者が再び注目したということだから、学説も変わっているということだ。もはや過去の模範解答は役に立たない。だから、いくら過去問を多く集めたとしても意味はない。過去問を多く集めていた方がいいとアドバイスしている者がいるとしたら、歴史の本質がわかっていない者だ。
東大受験生には、過去の模範解答を丸暗記するのではなく、その模範解答が本当かな?と疑うことをお勧めする。
それは数年前の早稲田大学でのことだが、日本経済史の授業で、江戸時代の農民の生活について説明したところ、学生から「先生は歴史がわかっていない」と言われたというのだ。どうも学生は小学校から受験時代まで、江戸時代の農民の生活は困窮を極めたと教わってきたらしい。しかし、近年の江戸時代の歴史像は大きく変わっている。江戸時代の経済が成熟していたことがわかってきているのだ。お触れで、お茶を飲んではいけません、贅沢をしてはいけません、旅行(物見遊山)をしてはいけません、と書いてあるということは、農民がそれらをしていたということだ。
ところが歴史を専門に勉強していない人たちは、学校の授業で教わる歴史は、確実な出来事であり、これからも変わらず正しくあり続けると思いがちだ。それでは歴史学という学問は成り立たない。歴史学者が歴史研究をしているのは、歴史像を変えるためだ。もちろん指導教授のコネで就職し、指導教授の教えを後生大事に守りながら、本を一冊も書かずに定年を迎える人たちもいる。しかし真面目な研究者は、歴史資料と向かい合いながら、これまでの歴史像を疑う作業をしている。それが、歴史学だ。
だから、去年まで正しかったことが、今年にはもう誤っているということはある。従来の歴史像が大きく変わるということは、よくあることなのだ。
一生懸命に過去問と模範解答を集めても、それが役に立たないことは多い。新しい事実がつぎつぎと発見される中で、過去には正解だったものが、現在には誤答になるのだ。
しかし、このことが分かっていないのは、学生だけではないらしい。参考書や問題集の模範解答を見ても分かってないと思えるものが多く、予備校の模範解答を見てもやはり分かってないと思えるものが多い。とくにベテランほど分かってないことが多い。自分が日本史を習ったときのままのことを教えているのだろう。
東大が予備校を信用していないということは、つぎの問題でも分かる。それは、1983年日本史第一問で、過去にいちど出題した「摂関政治と院政の政治形態の違いを、結婚形態の変化から論じる」という問題を、そのとき多かった解答例もいっしょに掲載して、再度出題した問題だ。これは、資料から推論していくという力が学生になかったことにがっかりするとともに、予備校の解答例があまりにお粗末だったからだ。予備校に対する挑戦状とも言える。
東大では、今でも社会の得点が低いといわれているようだ。予備校が、まだ東大論述対策に成功していないということだ。
そのことを分かっている受験生もいるようだ。真剣に東大に受かりたいと思っている受験生は、予備校などひとつの情報源だけを信じるということをしないで、あらゆる情報を集めて、自分の判断で情報を取捨選択している。また、受験参考書や問題集、予備校テキストだけではなく、歴史研究者が書いた日本史の教養書(大学教科書レベル)を読んでいる受験生もいる。実に頼もしい。
東大は、資料を見て自分の頭で考えて推論していく学生をほしがっている。東大の受験生には、ぜひ自分の頭で考える練習をしてほしい。過去問を多く集めただけでは駄目だし、模範解答を鵜呑みにしてもいけない。
過去に出たテーマが再び出題されたとしたら、それは研究者が再び注目したということだから、学説も変わっているということだ。もはや過去の模範解答は役に立たない。だから、いくら過去問を多く集めたとしても意味はない。過去問を多く集めていた方がいいとアドバイスしている者がいるとしたら、歴史の本質がわかっていない者だ。
東大受験生には、過去の模範解答を丸暗記するのではなく、その模範解答が本当かな?と疑うことをお勧めする。
この記事へのコメント
小生が受講している教授も「教科書は二十年程前に制定されたものであるから、現在はかなり違っているものが多い」と常に警告されておられます。その一例として、最近の授業で「中世の定義」は下記の通りとなっていると習いました。
新定義
古代……平安時代前期、九世紀まで
(平安時代中期は十世紀から十一世紀前半まで)
中世……平安時代後期十一世紀後半~十二世紀(平安時代は約四百年間)
近世……安土桃山時代以降
◆貞亨騒動の後
当館長のお話によると、水野家が騒動後も長らく領民と不和であったという訳ではなく、第三代水野忠直の孫で第五代水野忠幹の代には、父の第四代忠周が領民から借金しており、その返済を気に掛けていたものの財政が困窮していたことから、返済を待ってもらえるよう饗応して詫びるなど交流もあり、騒動後は領民を大切にしたことが、水野家の古文書に書かれていると聞かれた。
これに加えて館長は、農民は土地持ちであり裕福であったとコメントされています。
日本史の教科書の内容は、本当につまらないです。参考書・問題集の内容は、本当に古いです。拙著の内容が、過激に思えるぐらいですからね(笑)。
だから東大入試では、教科書や受験勉強で学んだことをそのまま答えるのではなく、資料をもとに自分で新説を考えるという問題形式になっているのです。