大学基準と予備校基準・東大現代文編
東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりにかわいそうだ。
東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問題で使用されている評論文の多くは、大学教科書や副教材である。大学入学後に、大学教科書や副教材を正確に読むことのできる学生がほしいからだ。だから、大学入試問題で使用されている評論文を読めば、自然に大学程度の教養が身につく。現代文・英語長文を解くときに機械的に読むのではなく、内容を理解しながら読むといい。
もちろん自分勝手な解釈で理解していると、教養を身に付けたことにはならない。できれば評論文の内容を正確に解釈できる人物から内容の説明をうけるといい。しかし評論文の内容は多岐に及ぶため、全ての問題について正確に説明できる人物はほとんどいない。そのため、わたしは自らのブログで模範解答を連載している。予備校では不可能な評論文の正確な解釈を受験生に学んでほしいからだ。
つぎに記述力を自分で身に付けるいい方法は、センター試験を記述試験と見立てて解くことである。大学入試センター発表の正解が、そのまま模範解答になる。また早稲田大学をはじめ私立大学の問題も、ほとんどが選択問題である。それを記述試験問題と見立てて解くのである。そうすれば問題を解きながら教養が身につき、記述力も身につく。一石二鳥だ。おまけに選択問題を解くときに迷わなくなる。一石三鳥だ。さらに英語長文の問題で同じことをすれば、英文読解力もつく。
もちろん東大現代文を正確に読むためのテクニックがないわけではない。しかし、これは受験テクニックというよりも、評論文を読み書くときの最低限の基礎知識である。そのため、評論文の読み方を理解していれば、東大後期試験の小論文対策にもなる。小論文とは、受験生自らが評論文を書くということである。
①逆接の接続詞に注目。評論文に共通するテーマは「常識を疑え」だ。そのため、対比として常識的見解を紹介した上で、「しかし」など逆接の接続詞につづけて自分の主張を書く。多くの場合は、「もちろん」+「しかし」の形をとり、「もちろん」のあとに常識的見解を書き、「しかし」のあとに自分の主張を書く。このことが分かっていれば、筆者の主張を探すのに苦労しない。
②対比に注目。逆接の接続詞が使われていなくても、ふたつの事物を比較させていれば、そこに筆者の主張がある。何と何を対比させているのか、注目するといい。
③言い換えの接続詞に注目。筆者はわざと難しい文章を書いているわけではなく、筆者なりに分かりやすく書こうと努力している。そのため、重要なことは必ず繰り返される。「つまり」「すなわち」など言い換えの接続詞の前後に、筆者が強調したいものが必ず書かれている。言い換えの接続詞がない場合でも、繰り返されていることは、間違いなく重要である。現代文の問題で、言い換えの語句を探させる問題が多いのは、言い換えていることが重要だからだ。
このことを知っていれば、読む速度も早くなる。理解できない文章があっても、それが重要なことであれば必ずどこかで言い換えているはずだから、飛ばして読んでいいのである。
④段落ごとの内容を理解する。段落は勝手に区切られているのではなく。段落ごとにひとつの話がまとめられている。だから論述問題で多く見られる傍線部分の内容説明では、その段落の内容をまとめてしまえば、多くの場合は正解になる。
ただし、ひとつひとつの段落がばらばらに独立しているわけではなく、前の段落の内容を受け、さらに次の段落につながっている。そのため前後の段落の内容を理解していると、段落の内容をまとめやすい。とくに傍線部が段落の最後の文である場合には、次の段落の最初の文につながっているので、かならず次の段落にも注目しておく必要がある。
⑤一字一句にこだわらない。模範解答でも陥りやすい間違いが、傍線箇所の一字一句を訳そうとすることである。一字一句の意味にこだわっていると、全体の文脈を無視して解釈してしまうことが多い。一字一句を解釈すれば正確な解釈ができるというわけでない。かえって全体の文脈を無視した自己流の解釈に陥る。
同じ言葉でも文脈によって意味が異なる。まず文脈を知らなければ、正しい解釈などできるはずがない。いちばん重要なのは全体の意味であり、部分はそれを構成するものだ。全体と部分は決して対立するものでなく、全体の中に部分があり、また部分を通して全体が見える。全体の中での段落の位置を把握し、段落の要約をまとめることだ。与えられている解答欄は二行だから、これで十分だ。一字一句にこだわらない方が、簡潔にまとめてあると評価されるはずだ。
⑥自分の言葉に直す。自分の言葉に直せるということは、文章の内容を深いところで理解しているということであり、自分のものにしているということだからだ。文中の言葉を抜き出しただけでは、ただ受験テクニックで重要そうなところを抽出して機械的にまとめただけと思われてしまう。それでは、書いた本人さえ理解できない文章になっているはずだ。予備校・青本・赤本の模範解答にも、そのような解答例が多い。東大は、普段から本を読み、自分の力で考えている受験生がほしいのだから、きちんと自分で読んで理解のできる文章を自分の言葉で書くこと。
⑦解答を読めば全体の内容が分かるように書く。問題は、内容が理解できているかどうか確認するためのものだから、問題はそれぞれ重要な個所について正確に理解できていることと、全体の内容を理解していることの両方を見ることができるように作成されている。そのため、解答を読めば、それが全体の要約にもなっていなければならない。時間があるときには、そのようにして確認するといいだろう
東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問題で使用されている評論文の多くは、大学教科書や副教材である。大学入学後に、大学教科書や副教材を正確に読むことのできる学生がほしいからだ。だから、大学入試問題で使用されている評論文を読めば、自然に大学程度の教養が身につく。現代文・英語長文を解くときに機械的に読むのではなく、内容を理解しながら読むといい。
もちろん自分勝手な解釈で理解していると、教養を身に付けたことにはならない。できれば評論文の内容を正確に解釈できる人物から内容の説明をうけるといい。しかし評論文の内容は多岐に及ぶため、全ての問題について正確に説明できる人物はほとんどいない。そのため、わたしは自らのブログで模範解答を連載している。予備校では不可能な評論文の正確な解釈を受験生に学んでほしいからだ。
つぎに記述力を自分で身に付けるいい方法は、センター試験を記述試験と見立てて解くことである。大学入試センター発表の正解が、そのまま模範解答になる。また早稲田大学をはじめ私立大学の問題も、ほとんどが選択問題である。それを記述試験問題と見立てて解くのである。そうすれば問題を解きながら教養が身につき、記述力も身につく。一石二鳥だ。おまけに選択問題を解くときに迷わなくなる。一石三鳥だ。さらに英語長文の問題で同じことをすれば、英文読解力もつく。
もちろん東大現代文を正確に読むためのテクニックがないわけではない。しかし、これは受験テクニックというよりも、評論文を読み書くときの最低限の基礎知識である。そのため、評論文の読み方を理解していれば、東大後期試験の小論文対策にもなる。小論文とは、受験生自らが評論文を書くということである。
①逆接の接続詞に注目。評論文に共通するテーマは「常識を疑え」だ。そのため、対比として常識的見解を紹介した上で、「しかし」など逆接の接続詞につづけて自分の主張を書く。多くの場合は、「もちろん」+「しかし」の形をとり、「もちろん」のあとに常識的見解を書き、「しかし」のあとに自分の主張を書く。このことが分かっていれば、筆者の主張を探すのに苦労しない。
②対比に注目。逆接の接続詞が使われていなくても、ふたつの事物を比較させていれば、そこに筆者の主張がある。何と何を対比させているのか、注目するといい。
③言い換えの接続詞に注目。筆者はわざと難しい文章を書いているわけではなく、筆者なりに分かりやすく書こうと努力している。そのため、重要なことは必ず繰り返される。「つまり」「すなわち」など言い換えの接続詞の前後に、筆者が強調したいものが必ず書かれている。言い換えの接続詞がない場合でも、繰り返されていることは、間違いなく重要である。現代文の問題で、言い換えの語句を探させる問題が多いのは、言い換えていることが重要だからだ。
このことを知っていれば、読む速度も早くなる。理解できない文章があっても、それが重要なことであれば必ずどこかで言い換えているはずだから、飛ばして読んでいいのである。
④段落ごとの内容を理解する。段落は勝手に区切られているのではなく。段落ごとにひとつの話がまとめられている。だから論述問題で多く見られる傍線部分の内容説明では、その段落の内容をまとめてしまえば、多くの場合は正解になる。
ただし、ひとつひとつの段落がばらばらに独立しているわけではなく、前の段落の内容を受け、さらに次の段落につながっている。そのため前後の段落の内容を理解していると、段落の内容をまとめやすい。とくに傍線部が段落の最後の文である場合には、次の段落の最初の文につながっているので、かならず次の段落にも注目しておく必要がある。
⑤一字一句にこだわらない。模範解答でも陥りやすい間違いが、傍線箇所の一字一句を訳そうとすることである。一字一句の意味にこだわっていると、全体の文脈を無視して解釈してしまうことが多い。一字一句を解釈すれば正確な解釈ができるというわけでない。かえって全体の文脈を無視した自己流の解釈に陥る。
同じ言葉でも文脈によって意味が異なる。まず文脈を知らなければ、正しい解釈などできるはずがない。いちばん重要なのは全体の意味であり、部分はそれを構成するものだ。全体と部分は決して対立するものでなく、全体の中に部分があり、また部分を通して全体が見える。全体の中での段落の位置を把握し、段落の要約をまとめることだ。与えられている解答欄は二行だから、これで十分だ。一字一句にこだわらない方が、簡潔にまとめてあると評価されるはずだ。
⑥自分の言葉に直す。自分の言葉に直せるということは、文章の内容を深いところで理解しているということであり、自分のものにしているということだからだ。文中の言葉を抜き出しただけでは、ただ受験テクニックで重要そうなところを抽出して機械的にまとめただけと思われてしまう。それでは、書いた本人さえ理解できない文章になっているはずだ。予備校・青本・赤本の模範解答にも、そのような解答例が多い。東大は、普段から本を読み、自分の力で考えている受験生がほしいのだから、きちんと自分で読んで理解のできる文章を自分の言葉で書くこと。
⑦解答を読めば全体の内容が分かるように書く。問題は、内容が理解できているかどうか確認するためのものだから、問題はそれぞれ重要な個所について正確に理解できていることと、全体の内容を理解していることの両方を見ることができるように作成されている。そのため、解答を読めば、それが全体の要約にもなっていなければならない。時間があるときには、そのようにして確認するといいだろう
この記事へのコメント
良い入試問題は、基礎的な知識をもとに考える力を試す問題です。しかも正解はなく、むしろ大学が用意した模範解答よりも良い解答が出てくることを期待しています。
大学入学後の勉強では、教科書で学びながら教科書を批判して乗り越えていくことが求められているのですから、模範解答を超える解答が求められるのは、当然のことでしょう。
そのため、大人が見ても教養として、また頭の体操として、楽しめるものであるのです。
現在執筆で忙しく、ブログの更新をあまりしていませんが、今年の入試問題の模範解答も掲載する予定ですので、また見に来てください。
現代文の解答は大変ありがたく思います。本当にありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。
研究書の執筆がひと息ついたら、今年の東大現代文の解答例を公開します。すでに勉強会では扱ったのですが、ブログでも公開するようにします。また、これまでのものの改訂版も公開していく予定です。もうしばらくお待ちください。
高校3年生のnaoと申します!
私も『東大入試で遊ぶ教養』を買ってこのブログを知りました。
今の成績では東大を受験するなんて、と笑われてしまうのですが、どうしても東大に合格したいのです!絶対に合格します!!!
佐々木先生の日本史の回答例が、過去問の解説と全然違って驚きました。私も模範解答を超える回答を作れるようになりたいです。
予備校の採点基準が違うのなら、普段自分で回答を作ってみたときどうすればよいのでしょうか?
東大はどうしても行きたいと思える大学です。現役であれば、これから成績が急上昇するものですから、目標をしっかりと持ち励んでください。
ところで、「模範解答を超える解答」ですが、それを身に着けるには、研究者が書いた本を読むのが本当はいいのです。そうすれば、歴史の知識は疑ってもいいものだということを学べます。
それに対して、予備校や高校での受験日本史は、時代遅れの知識を一方的に覚えることを強制されます。そのため面白みもありません。これが、生徒の歴史離れを引き起こしています。
もし身近に研究者がいれば、その人に見てもらうのが一番良いでしょう。よろしければ、お手伝いしましょうか? 現在、研究書の執筆中ですが、相談には応じられますよ。
現代文については著作権の問題があり、出版が難しいようです。本当のことを言うと、私がもっとも出版したいのは、現代文だったのです。機会がありましたら、ぜひ出版したいと考えています。
また東大現代文の解答例&解説の更新をサボっていましたので、近日中に2007年・2008年の解答例&解説を掲載したいと考えています。それとともに、他の年度に関しましても、改訂版を掲載していきたいと考えています。ご期待下さい。
現代文の過去問楽しみにしてます。
教学社の25ヵ年も持ってますが
佐々木先生の現代文の本が出たら
絶対買おうと思います。
忙しさにかまけて更新していないにもかかわらず、わたしの東大現代文の記事を読んでいただきありがとうございます。執筆の合間をぬって近年の解答例も発表したいと考えています。
しかし、「記述力を自分で身に付けるいい方法は、センター試験を記述試験と見立てて解くことである。」という考えには少し疑問をもったので質問させて下さい。
メリットとしては、教養が身につく。記述力がつく。選択問題で間違えない。ということを挙げられていますが、記述式の問題集を使っても
はじめの二つは条件を満たすと思いますし、記述の試験を行う際に、選択問題で間違えないという要素はあまり必要はないと私は思いました。
画期的な方法なので、実践してみたいと思うのですが、記述対策という点で、記述よりマークの方が良いという理由について、もう少し細かく説明してもらえませんか?
お忙しいところ、細かい質問ですみません。
センター試験を使うといいのは、まず①選択肢がそのまま解答になっているからです。解答は入試センター発表のもので確実です。論述問題集を解くのもいいですが、模範解答がよくないことが多いのです。模擬試験でも同様です。その点、センター試験の選択肢なら安心して、論述問題の模範解答として使用できます。
また②選択肢を自分でつくるのですから、問題作成者の気持ちが分かるようになります。その結果、選択肢問題を解くときにも、消去法ではなく正攻法で選べるようになります。それができれば、見直しのとき消去法でもう一度解けますから、正解率が高まります。東大受験者はセンター試験で失敗できませんから、問題作成者の気持ちが分かることは大切だと思います。
これが逆転の発想です。
機械的な処理は内容の正しい理解の手助けになりますよ。
しかし形式重視と逐語訳は異なります。逐語訳をすることで誤訳することもあります。意味と形式の均衡が重要だと思っています。
それと、採点に関する内部事情があれば、可能な範囲で教えてほしいです。今の問題は法学部を中心に作られている、というのは聞きましたが。
東大は模範解答に近い解答を求めているのではなく、模範解答を超える解答を求めています。そのため、いい解答があると会議を開いて、基準を変え、もう一度最初から採点しなおします。このように採点に力を入れているので、受験生の数が多いと期日までに採点を終えるのが難しくなります。それで残念ながら足切りをします。これは現代文だけではなく、全科目について言えることです。
わたし自身、受験生の解答を見てズバらしいと思うことは多いです。浪人さんが模範解答を見て、模擬試験や模範解答を見て物足りないと思うのは当然でしょう。そのような受験生は多く、自分の納得のいく模範解答を探して、ネットサーフィンをする受験生は多いです。
わたしも現代文の本をつくろうと出版社に企画したことはあるのですが、著作権の問題もあり、とても障壁が高いのです。もし現代文について質問があるようでしたら、メールで連絡をしていただければ、相談には応じますよ。