観音寺城見学会

5月勉強会前日5月5日に観音寺城見学を実施します。
近江観音寺城は近江守護佐々木六角氏の本城で、戦国期最大級の山城で、鉄砲に備えて本格的な石垣も用いています。それまでの城は土塁でしたから、石垣を用いたことは画期的でした。また家臣団が集住し、おびただしい数の郭(曲輪)それぞれが家臣の屋敷になっていました。城下町石寺は、日本で最初の楽市が実施されたことで著名です。織豊期の遺構もあり、織田信長近江進出後も健在であったことが分かります。このことが六角氏当主をめぐる系図問題に一石を投じ、六角義実・義秀・義郷実在説を歴史考古学的に裏付けることになりました。このような観音寺城を見学したいと考えています。全体を探索しようとすれば数日かかりますので、今回はさっと見る程度ですが、それでも規模の大きさは分かると思います。
        
【日時】
5月5日 午後1時
【集合場所】
JR安土駅前 観光案内所付近

この記事へのコメント

西條壱岐守
2007年04月23日 15:13
佐々木先生
お久しぶりです。観音寺城を見学されるとの事、羨ましいですね。当方残念ながら5月は4日~6日の間、北海道札幌の厚生年金会館で全国大会出演です。誠に残念です。従って勉強会も長い間、楽しみにしていたのですが参加できなくて誠に残念でなりません。皆さんによろしくおっしゃってください。もう2ヶ月前になりますが福井への帰りに佐々木神社と近江八幡市の円山城のふもとまで行ってきました。調査する方法も知らず只、行っただけで終わりました。
佐々木哲
2007年04月23日 15:52
西條さんとお会いできないのは残念です。阿波西條氏の系譜も随分と判明してきましたので、今後も資料に基づきながら一緒に探究していきましょう。次回お会いできることを楽しみにしております。
西條壱岐守
2007年04月23日 17:38
阿波西條氏の系譜のこと、調べて頂いていたのですね。感激です。次回お会いするのを楽しみにしています。
佐々木哲
2007年04月24日 18:50
いいえ、以前京都勉強会でお話した内容のことです。

あと必要なことは、佐々木壱岐家(六角流)が阿波に所領を持っていたかどうかです。このことを明らかにしていきたいと考えています。

もし壱岐家が阿波に所領を有していたならば、阿波西條氏は六角流の可能性があります。もし有していなかったならば、盛綱流佐々木氏で細川清氏流の阿波細川氏を継承した佐々木長綱の子孫の可能性が高くなります。
佐々木寿
2007年04月26日 23:47
近江源氏第一巻~幻の観音寺城~を読むとその壮大さや機能性の高さに驚かされます。30以上の家臣団屋敷の配置などが図にされているのもわかりやすくてとてもいいです。
やはり一度は登ってみたいですね。
佐々木哲
2007年04月27日 01:21
メールで今回は参加できないと連絡いただきましたが、とても残念です。ただし今回はさっと登るだけですから、次の機会に一緒に登りましょう。

5月中頃~末に東京勉強会も復活させたいと考えていますので、そのときまたお会いしましょう。
佐々木寿
2007年04月28日 14:02
ご配慮ありがとうございます。
堀尾岳行
2008年04月22日 22:41
観音寺城は春の季節、イワカガミやコバノミツバツツジ、カンアオイが咲き、名残のヤマザクラが散っています。太夫の井戸には水がまんまんと湛えられてこの城の生命線である水の手が約480年しっかりしていることを示しています。石垣については金剛輪寺下倉米銭下用帳により天文五年にはできていたことが判りました。また、桑実寺に結ぶ薬師口は永禄期にそれまであった石垣に袖垣を加え喰い違い虎口にしたようです。
佐々木哲
2008年05月12日 11:59
コメントありがとうございます。仕事が忙しく返事が遅れて申し訳ございませんでした。

石垣のことは参考になります。天文5年にできていたことが金剛輪寺文書で分かったことの意義は大きいですね。観音寺城の歴史的価値が高まりますし、それとともに六角氏の先見性も分かります。

現在仕事が忙しい中も執筆活動を続けています。まずは『東大入試で遊ぶ教養』シリーズの改訂版が夏刊行予定です。

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