計画停電で被災者との連帯感
今日3/16(水)わたしの仕事場は自宅と同じ第3グループだったので、夜に停電の可能性があるということで当日に休講が決まり、自宅待機をしていました。
18:20~22:00という夕方から夜にかけての時間帯での計画停電予定でした。今日は朝から計画停電が実施されて、前の時間帯では武蔵野・三鷹でも実施されたと聞いていたので、帰宅ラッシュの時間帯でもある第3グループの実施も覚悟しました。
それでも18:20にはまだ停電はなく、18:30もまわり、今日も実施しないのかなと思った19:00前にブチッと電気が切れて停電しました。停電している間は何もすることがなく、パソコンで原稿を書こうかとも思って、ノートパソコンを開いてすこし執筆したのですが、目が悪くなりそうなのでやめて、携帯で音楽を聴いたり、ラジオでニュースを聴いたりしていました。でも気づいたのですが、音だけの方が想像力がかき立てられますね。音から視覚的イメージがわき上がってくるのです。
いつも同じ日常が続くと、条件反射だけで生活できます。深く考えなくていいのです。決断も必要ありません。二つの対立する選択肢に直面しないからです。そのような想像力のない中で、危機を向かえた場合どうなるでしょう。条件反射的に行動するのですから、行列があったら並び、商棚にないと欲しくなる。本当に必要かどうか考えずに欲しくなるのです。でも、よく考えれば少し物流が滞っているだけで、生産はもうすぐ復活します。被災者でもないのに買い占める必要はありません。普段から想像力を鍛える必要があるかもしれません。想像力がなければ、他者の気持ちなど分かるはずもありません。
今日はたったの2時間の停電ですみました。しかも予告されたものです。それでも、被災者の気持ちをほんの少しですが共有できたように思えました。私の中に連帯感が生まれたのです。わたしにとって計画停電は、被災者との連帯感をもつ良いきっかけになりました。計画停電には批判もありますが、被災者との連帯感を持てる機会だと考えれます。
無駄な外出はしない。無駄に買占めをしない。とくに被災地には燃料がなくて困っています。支援物資があっても燃料がなくて避難所まで運べないのです。行列ができているから行列に並ぶ。商棚にないから必要のない物まで買う。こういうことはやめましょう。落ち着いて、じっとして、被災者の苦労を少しでも想像しましょう。
18:20~22:00という夕方から夜にかけての時間帯での計画停電予定でした。今日は朝から計画停電が実施されて、前の時間帯では武蔵野・三鷹でも実施されたと聞いていたので、帰宅ラッシュの時間帯でもある第3グループの実施も覚悟しました。
それでも18:20にはまだ停電はなく、18:30もまわり、今日も実施しないのかなと思った19:00前にブチッと電気が切れて停電しました。停電している間は何もすることがなく、パソコンで原稿を書こうかとも思って、ノートパソコンを開いてすこし執筆したのですが、目が悪くなりそうなのでやめて、携帯で音楽を聴いたり、ラジオでニュースを聴いたりしていました。でも気づいたのですが、音だけの方が想像力がかき立てられますね。音から視覚的イメージがわき上がってくるのです。
いつも同じ日常が続くと、条件反射だけで生活できます。深く考えなくていいのです。決断も必要ありません。二つの対立する選択肢に直面しないからです。そのような想像力のない中で、危機を向かえた場合どうなるでしょう。条件反射的に行動するのですから、行列があったら並び、商棚にないと欲しくなる。本当に必要かどうか考えずに欲しくなるのです。でも、よく考えれば少し物流が滞っているだけで、生産はもうすぐ復活します。被災者でもないのに買い占める必要はありません。普段から想像力を鍛える必要があるかもしれません。想像力がなければ、他者の気持ちなど分かるはずもありません。
今日はたったの2時間の停電ですみました。しかも予告されたものです。それでも、被災者の気持ちをほんの少しですが共有できたように思えました。私の中に連帯感が生まれたのです。わたしにとって計画停電は、被災者との連帯感をもつ良いきっかけになりました。計画停電には批判もありますが、被災者との連帯感を持てる機会だと考えれます。
無駄な外出はしない。無駄に買占めをしない。とくに被災地には燃料がなくて困っています。支援物資があっても燃料がなくて避難所まで運べないのです。行列ができているから行列に並ぶ。商棚にないから必要のない物まで買う。こういうことはやめましょう。落ち着いて、じっとして、被災者の苦労を少しでも想像しましょう。
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