国内の国際化の必要性

HongKong Sweetsのカフェで、豚肉抜きのチャーハンを注文した女性がいた。わたしは遠い席にいたので、何かを抜いたチャーハンを注文したということしか分からなかったので、単なる好き嫌いかなと思っていたけど、会計をするその女性の顔を見るとイスラーム文化圏の女性に見えたので、担当していたホールスタッフに尋ねたら、やはり宗教的理由で豚肉が食べられないということだった。
以前、バングラディッシュと中国のダブルという小学生を教えたことがあり、やはり食事では苦労していたことを覚えている。イスラームでは豚肉を食べられないので、とんかつも中華まんじゅう(ブタまん)もハムもソーセージも食べられないのは当然のこと、サラダを食べるときにはドレッシングの原材料にブタが含まれていないか、きちんと調べてから食べていた。中国出身の母親に、中華料理は豚肉料理が多いので苦労されるのでは?と尋ねたところ、中国ではムスリム(イスラーム信者)が多いので、同じ料理でも豚肉ではなく牛肉を使用したものがあり、中国ではかえって苦労しないとのことだった。
中国では新疆ウィグル自治区の独立運動があり、北京政府とムスリムの対立が問題になっているが、食生活ではきちんと配慮がなされていることを知った。日本でもイスラームやヒンドゥーの信者の人たちが増えており、豚肉・牛肉を表示するだけではなく、それぞれの代用品をつくるといいだろう。たとえば中華まんじゅうであれば、ブタまんだけではなく牛まんもつくるといいだろう。日本人も牛肉は好きなのだから、日本人にも牛まんが受けるかもしれない。狂牛病騒動のときには、牛肉の代用として豚肉や鶏肉がつかわれた。逆に、こんどは豚肉の代用として牛肉をつかった料理が登場してもいい。
このように、国際化は何も英語を話せればいいというものではない。日本ではすぐに海外に渡ることが国際化と思うところがあるが、日本にいる外国の人たちが苦労なく生活でき、また日本のことを好きなってもらうことも国際化である。そろそろ発想を変える必要がある。アメリカに留学した学生はアメリカ好きになるが、日本に留学した学生は日本嫌いになると聞いたこともある。これはとても残念なことである。日本贔屓を増やすことが、国際化の一歩ではないだろうか。

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