2012年東大後期・総合科目Ⅲ・第1問
第一問「政治と美術」
問1「ワイマール共和国の歴史」(500字[20×25]以内)
【解答例】
第一次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国で、一九一九年にワイマールで開かれた国民会議でワイマール憲法を制定したため、ワイマール共和国とも呼ばれた。ワイマール憲法には生存権の保障の規定があったが、大統領の緊急命令発布権に関する規定もあった。
初代大統領は社会民主党のエーベルトだが、共和国の最大の課題は賠償問題であり、二三年には賠償支払いが滞ったためフランスなどによるルール占領があり、ドイツは大インフレで対応した。ドーズ案で賠償支払いが緩和されるとともに多額のアメリカ資本が投入され、またレンテンマルクによりインフレが抑制され経済は安定した。さらに二六年にはシュトレーゼマン外相の努力でロカルノ条約が締結され、国際連盟にも加盟した。
しかし国内の安定とともに保守派の勢力が伸び、二五年にヒンデンブルクが大統領に当選した。二九年の世界恐慌でアメリカ資本が撤退して、深刻な社会不安が起こり、ナチスと共産党の左右両勢力が伸び、三二年にはナチスが第一党となり、三三年ヒトラーは内閣を組織した。そして憲法四八条の大統領の緊急命令発布権に基づいて出された大統領令や授権法で、憲法は形骸化されて共和国は事実上崩壊する。
【解説】
世界史の知識があれば解答できるが、知識の羅列は避けたい。そこで、一つの出来事の表裏に注目しながら構成する。ワイマールで開かれた国民会議で憲法を制定したため、ワイマール共和国と呼ばれている。ワイマール憲法の歴史的意義は生存権だが、共和国の歴史を考えると第四八条の大統領の緊急命令発布権の乱発で事実上その歴史を閉じる。これで共和国の始めと終りを憲法で説明できる。また共和国の歴史で重要なのは賠償問題である。賠償不払い問題によるルール占領事件、それに抵抗した天文学的インフレ、その解決を目指したドーズ案とレンテンマルクである。ドーズ案によりアメリカ資本が導入されたが、そのため世界恐慌の影響も大きく受けた。そしてシュトレーゼマンの協調外交と経済復興で安定を得るが、そのことで右派が台頭する。このように歴史的出来事の表裏を考えると、歴史を動的に叙述できよう。
問2「美術への政治的介入と利用」(500字[20×25]以内)
【解答例】
美術の政治利用には様々な形がある。戦争を描写したものは反戦という政治利用が可能であり、さらにどこで展示されているのかによっても意味が大きく変る。一見戦争には関係ない博物館や美術館の所蔵品も、どこに所蔵・展示されるかで国力や経済力を誇示するものになるからである。大英博物館に世界各国のものが展示されているのは、その好例であろう。
反戦争・反ナチズムと考えられているピカソの『ゲルニカ』も、場所によって意味が変る。空爆はフランコ将軍を支援するナチスドイツによるものであり、この絵画はたしかに反ナチズムの絵画といえる。しかし舞台はバスク地方であり、中央政府による少数民族弾圧を訴えた反マドリードの絵画ともいえる。
ヴェトナム戦争末期に当時アメリカにあった『ゲルニカ』が赤いスプレーで落書きされる事件があった。さらにイラク戦争前夜のパウル米国国務長官の国連での記者会見で、背後の同じ絵柄のタピストリーがカーテンで隠された。『ゲルニカ』は反米にもなりえる。
スペイン帰国後も、マドリードのソフィア王妃美術館とバスクのグッゲンハイム美術館とのあいだで所蔵の論争が起こっている。どこで展示されるかで解釈が変る好例といえよう。
【解説】
もっとも書きやすい事例は戦争だが、改革時の芸術も事例に挙げられる。古代エジプトのアメンホテプ四世によるアマルナ芸術も、写実的芸術による宗教改革であり政治利用である。ルネサンスや近代革命期の作品、日本の狂歌や川柳など批評的な作品も芸術の政治利用といえる。反戦絵画やプロレタリア芸術は十分に政治利用の事例である。またピカソの『ゲルニカ』を例に、どこに展示するかで意味が変ると論じてもいい。マドリードにあれば反フランコ・反ナチスになるが、バスクにあれば反マドリードになる。このような意味の変化を論じても面白い。さらに日本では少女雑誌の表紙で有名な中原淳一が排除の対象になっており、平和時であれば何ら問題にならないものが問題にされると論じてもいい。視点を変えれば大英博物館に代表される欧米の博物館や美術館の所蔵物は戦利品であり、大英博物館と元来の所有国がその所有をめぐり争うこともある。芸術品は国力誇示の手段にもなると論じられよう。
今年は世界史や日本史の知識をもとに身近な事例で論じるものであり、例年に比べるとやさしくなった印象がある。ただし500字以内という字数では知識を並べるだけになる可能性もあり、それだけ事例の選択や視点の工夫で短く効果的にまとめる力が必要となる。
問1「ワイマール共和国の歴史」(500字[20×25]以内)
【解答例】
第一次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国で、一九一九年にワイマールで開かれた国民会議でワイマール憲法を制定したため、ワイマール共和国とも呼ばれた。ワイマール憲法には生存権の保障の規定があったが、大統領の緊急命令発布権に関する規定もあった。
初代大統領は社会民主党のエーベルトだが、共和国の最大の課題は賠償問題であり、二三年には賠償支払いが滞ったためフランスなどによるルール占領があり、ドイツは大インフレで対応した。ドーズ案で賠償支払いが緩和されるとともに多額のアメリカ資本が投入され、またレンテンマルクによりインフレが抑制され経済は安定した。さらに二六年にはシュトレーゼマン外相の努力でロカルノ条約が締結され、国際連盟にも加盟した。
しかし国内の安定とともに保守派の勢力が伸び、二五年にヒンデンブルクが大統領に当選した。二九年の世界恐慌でアメリカ資本が撤退して、深刻な社会不安が起こり、ナチスと共産党の左右両勢力が伸び、三二年にはナチスが第一党となり、三三年ヒトラーは内閣を組織した。そして憲法四八条の大統領の緊急命令発布権に基づいて出された大統領令や授権法で、憲法は形骸化されて共和国は事実上崩壊する。
【解説】
世界史の知識があれば解答できるが、知識の羅列は避けたい。そこで、一つの出来事の表裏に注目しながら構成する。ワイマールで開かれた国民会議で憲法を制定したため、ワイマール共和国と呼ばれている。ワイマール憲法の歴史的意義は生存権だが、共和国の歴史を考えると第四八条の大統領の緊急命令発布権の乱発で事実上その歴史を閉じる。これで共和国の始めと終りを憲法で説明できる。また共和国の歴史で重要なのは賠償問題である。賠償不払い問題によるルール占領事件、それに抵抗した天文学的インフレ、その解決を目指したドーズ案とレンテンマルクである。ドーズ案によりアメリカ資本が導入されたが、そのため世界恐慌の影響も大きく受けた。そしてシュトレーゼマンの協調外交と経済復興で安定を得るが、そのことで右派が台頭する。このように歴史的出来事の表裏を考えると、歴史を動的に叙述できよう。
問2「美術への政治的介入と利用」(500字[20×25]以内)
【解答例】
美術の政治利用には様々な形がある。戦争を描写したものは反戦という政治利用が可能であり、さらにどこで展示されているのかによっても意味が大きく変る。一見戦争には関係ない博物館や美術館の所蔵品も、どこに所蔵・展示されるかで国力や経済力を誇示するものになるからである。大英博物館に世界各国のものが展示されているのは、その好例であろう。
反戦争・反ナチズムと考えられているピカソの『ゲルニカ』も、場所によって意味が変る。空爆はフランコ将軍を支援するナチスドイツによるものであり、この絵画はたしかに反ナチズムの絵画といえる。しかし舞台はバスク地方であり、中央政府による少数民族弾圧を訴えた反マドリードの絵画ともいえる。
ヴェトナム戦争末期に当時アメリカにあった『ゲルニカ』が赤いスプレーで落書きされる事件があった。さらにイラク戦争前夜のパウル米国国務長官の国連での記者会見で、背後の同じ絵柄のタピストリーがカーテンで隠された。『ゲルニカ』は反米にもなりえる。
スペイン帰国後も、マドリードのソフィア王妃美術館とバスクのグッゲンハイム美術館とのあいだで所蔵の論争が起こっている。どこで展示されるかで解釈が変る好例といえよう。
【解説】
もっとも書きやすい事例は戦争だが、改革時の芸術も事例に挙げられる。古代エジプトのアメンホテプ四世によるアマルナ芸術も、写実的芸術による宗教改革であり政治利用である。ルネサンスや近代革命期の作品、日本の狂歌や川柳など批評的な作品も芸術の政治利用といえる。反戦絵画やプロレタリア芸術は十分に政治利用の事例である。またピカソの『ゲルニカ』を例に、どこに展示するかで意味が変ると論じてもいい。マドリードにあれば反フランコ・反ナチスになるが、バスクにあれば反マドリードになる。このような意味の変化を論じても面白い。さらに日本では少女雑誌の表紙で有名な中原淳一が排除の対象になっており、平和時であれば何ら問題にならないものが問題にされると論じてもいい。視点を変えれば大英博物館に代表される欧米の博物館や美術館の所蔵物は戦利品であり、大英博物館と元来の所有国がその所有をめぐり争うこともある。芸術品は国力誇示の手段にもなると論じられよう。
今年は世界史や日本史の知識をもとに身近な事例で論じるものであり、例年に比べるとやさしくなった印象がある。ただし500字以内という字数では知識を並べるだけになる可能性もあり、それだけ事例の選択や視点の工夫で短く効果的にまとめる力が必要となる。
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