2012年東大後期・総合科目Ⅲ・第2問
第二問「神仏習合」
問1「日本の基層信仰の特色」(500字[20×25]以内)
【解答例】
神道は、日本書紀用明天皇紀で仏教と対照的に用いられた語で、その内容は多様であった。
縄文文化の土偶はバラバラの状態で発見されるが、記紀で食物神の各部位から様々な作物の芽が出たという記述があるように、食物神の各部位をバラバラにして各所に埋めて豊作を祈ったものと考えられる。呪術的であり現世利益的といえる。また禊や祓いにも見られるように神道では浄めも重要である。さらに記紀に多くの豪族の祖先神が登場するように祖先崇拝もあり、各地に氏神を祭る神社がつくられた。
このように神道には現世利益を説く密教や、清浄な身でなければ極楽浄土に往生できないと説く浄土教と結びつく要素があり、さらに現世の者が祖先の菩提を弔い地獄から救済するという中世仏教的な現世利益と結びつく要素もある。平安期の神仏習合によって、仏教は本格的に民衆のあいだにも広まったといえる。
また神道では、特定の神域に供え物を捧げ、音曲歌舞で神を慰めるが、ここから田楽や盆踊り・歌舞伎などの芸能も生まれている。
このように神道が多様な内容をもつのは、卑弥呼の「鬼道」が道教を指すという意見もあるように、神道の形成過程の日本列島には多様な人びとが住んでいたからだろう。
【解説】
日本における基層信仰であれば、日本書紀用明天皇紀で仏教と対照される「神道」を論じればいい。ただし論じるのは基層信仰であり、律令国家の神社神道や近代日本の国家神道ではなく、民俗信仰として神道である。教科書レベルで勝負するなら、縄文文化の土偶を事例に豊作を祈る現世利益を論じることができよう。また記紀に豪族の祖先神が登場するように氏神信仰も見られ、自然物崇拝だけでなく人格神崇拝も見られる。さらに禊や祓いに見られるように浄めも重要であり、それがハレとケの文化の源流になっている。そして天の岩戸神話でも分かるように音曲歌舞で神を慰めることから、田楽や盆踊りも生まれている。踊りの語源は「男取り」と考えられるが、男根・女陰信仰の存在で性に開放的であったことも分かる。身近な信仰を思い出せばいいだろう。
問2「普遍宗教と基層宗教」(500字[20×25]以内)
【解答例】
聖書にはキリスト生誕の日時は記されていないように、クリスマスは本来、キリストの誕生日とは無関係であった。ローマ布教やゲルマン布教の中で、ミトラ教やゲルマンの民俗宗教の冬至の祭りを取り入れたものといえる。
ローマ帝国ではキリスト教が広まる前に、ゾロアスター教から派生したミトラ教が軍人を中心に広まっていた。一二月二五日はその最大の祭りである光の祭りの日であり、ローマの古い暦の冬至の日でもあった。ミトラ教を始め古代の太陽神信仰の多くは、冬至の日を太陽神誕生の日として祝っていた。キリスト教会は、太陽の復活を願う冬至をキリストの誕生日として祝うことで、太陽信仰の人びとのあいだで広まったといえよう。
またクリスマスは、ゲルマンの冬至の祭りとも重なる。ゲルマン人の冬至の祭りなどゲルマン的要素を取り入れながら、キリスト教はゲルマン布教にも成功したといえる。北欧でサンタクロースが妖精と結び付けられるのも、民俗信仰と関係があろう。
これで、キリスト教が民俗信仰と妥協しながら、それらに取って代わっていく過程を理解できる。抽象性が高い普遍宗教が民間にも広まるのに必要な過程であったといえよう。
【解説】
これも身近なところに事例を見つけられる。もともと聖書にキリスト生誕の日時が記されていないように、クリスマスは本来、キリストの誕生日とは無関係であった。ローマの古い暦の冬至やローマで広まっていたミトラ教の光の祭り、ゲルマンの民俗信仰の冬至の祭りを取り入れ、キリスト降誕祭(一二月二五日)と公現祭(一月六日)が成立した。太陽の復活とイエスの降誕を結び付けたのである。このように民俗行事を取り込むことで、キリスト教はローマ布教やゲルマン布教に成功した。謝肉祭(カーニバル)も、ゲルマンの春の到来を祝う祭りに由来するという。また、ヒンドゥー教は釈迦をヴィシュヌ神の九番目の化身として仏教を包摂したことも事例になる。さらにイスラーム教がユダヤ教徒やキリスト教を啓典の民として包摂したことや、インドのヒンドゥー教徒への寛容策も事例に挙げられよう。
今年は世界史や日本史の知識をもとに身近な事例で論じるものであり、例年に比べるとやさしくなった印象がある。ただし、500字以内という字数では知識を並べるだけになる可能性もあり、それだけ事例の選択や視点の工夫で短く効果的にまとめる力が必要となる。
問1「日本の基層信仰の特色」(500字[20×25]以内)
【解答例】
神道は、日本書紀用明天皇紀で仏教と対照的に用いられた語で、その内容は多様であった。
縄文文化の土偶はバラバラの状態で発見されるが、記紀で食物神の各部位から様々な作物の芽が出たという記述があるように、食物神の各部位をバラバラにして各所に埋めて豊作を祈ったものと考えられる。呪術的であり現世利益的といえる。また禊や祓いにも見られるように神道では浄めも重要である。さらに記紀に多くの豪族の祖先神が登場するように祖先崇拝もあり、各地に氏神を祭る神社がつくられた。
このように神道には現世利益を説く密教や、清浄な身でなければ極楽浄土に往生できないと説く浄土教と結びつく要素があり、さらに現世の者が祖先の菩提を弔い地獄から救済するという中世仏教的な現世利益と結びつく要素もある。平安期の神仏習合によって、仏教は本格的に民衆のあいだにも広まったといえる。
また神道では、特定の神域に供え物を捧げ、音曲歌舞で神を慰めるが、ここから田楽や盆踊り・歌舞伎などの芸能も生まれている。
このように神道が多様な内容をもつのは、卑弥呼の「鬼道」が道教を指すという意見もあるように、神道の形成過程の日本列島には多様な人びとが住んでいたからだろう。
【解説】
日本における基層信仰であれば、日本書紀用明天皇紀で仏教と対照される「神道」を論じればいい。ただし論じるのは基層信仰であり、律令国家の神社神道や近代日本の国家神道ではなく、民俗信仰として神道である。教科書レベルで勝負するなら、縄文文化の土偶を事例に豊作を祈る現世利益を論じることができよう。また記紀に豪族の祖先神が登場するように氏神信仰も見られ、自然物崇拝だけでなく人格神崇拝も見られる。さらに禊や祓いに見られるように浄めも重要であり、それがハレとケの文化の源流になっている。そして天の岩戸神話でも分かるように音曲歌舞で神を慰めることから、田楽や盆踊りも生まれている。踊りの語源は「男取り」と考えられるが、男根・女陰信仰の存在で性に開放的であったことも分かる。身近な信仰を思い出せばいいだろう。
問2「普遍宗教と基層宗教」(500字[20×25]以内)
【解答例】
聖書にはキリスト生誕の日時は記されていないように、クリスマスは本来、キリストの誕生日とは無関係であった。ローマ布教やゲルマン布教の中で、ミトラ教やゲルマンの民俗宗教の冬至の祭りを取り入れたものといえる。
ローマ帝国ではキリスト教が広まる前に、ゾロアスター教から派生したミトラ教が軍人を中心に広まっていた。一二月二五日はその最大の祭りである光の祭りの日であり、ローマの古い暦の冬至の日でもあった。ミトラ教を始め古代の太陽神信仰の多くは、冬至の日を太陽神誕生の日として祝っていた。キリスト教会は、太陽の復活を願う冬至をキリストの誕生日として祝うことで、太陽信仰の人びとのあいだで広まったといえよう。
またクリスマスは、ゲルマンの冬至の祭りとも重なる。ゲルマン人の冬至の祭りなどゲルマン的要素を取り入れながら、キリスト教はゲルマン布教にも成功したといえる。北欧でサンタクロースが妖精と結び付けられるのも、民俗信仰と関係があろう。
これで、キリスト教が民俗信仰と妥協しながら、それらに取って代わっていく過程を理解できる。抽象性が高い普遍宗教が民間にも広まるのに必要な過程であったといえよう。
【解説】
これも身近なところに事例を見つけられる。もともと聖書にキリスト生誕の日時が記されていないように、クリスマスは本来、キリストの誕生日とは無関係であった。ローマの古い暦の冬至やローマで広まっていたミトラ教の光の祭り、ゲルマンの民俗信仰の冬至の祭りを取り入れ、キリスト降誕祭(一二月二五日)と公現祭(一月六日)が成立した。太陽の復活とイエスの降誕を結び付けたのである。このように民俗行事を取り込むことで、キリスト教はローマ布教やゲルマン布教に成功した。謝肉祭(カーニバル)も、ゲルマンの春の到来を祝う祭りに由来するという。また、ヒンドゥー教は釈迦をヴィシュヌ神の九番目の化身として仏教を包摂したことも事例になる。さらにイスラーム教がユダヤ教徒やキリスト教を啓典の民として包摂したことや、インドのヒンドゥー教徒への寛容策も事例に挙げられよう。
今年は世界史や日本史の知識をもとに身近な事例で論じるものであり、例年に比べるとやさしくなった印象がある。ただし、500字以内という字数では知識を並べるだけになる可能性もあり、それだけ事例の選択や視点の工夫で短く効果的にまとめる力が必要となる。
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