〈系図学校〉立ち上げ
今年4月、主にインターネットで活動していた佐々木哲学校(佐々木哲.jp)のなかに系図学校を立ち上げ、会報の発行を中心に活動し、会員数が増えましたら法人とし、全国的に講演活動を展開していきます。この系図学校は、山嵜正美氏が事務局をされていた「近江佐々木氏の会」を発展的に継承するものですが、佐々木氏以外の系譜伝承も対象とします。
趣旨
▼系譜伝承には多くの錯誤が含まれていますが、それらの錯誤を捨て去れば、その源流である歴史的事実をも失います。そこで、系譜伝承を読み解く系図学の確立を目指します。
▼系譜伝承は家の伝承であるとともに、地域の歴史の伝承でもあり、文化遺産のひとつといえます。そのため、その収集と保存は地域振興にも資するでしょう。
活動内容
▼系図学校立ち上げ当初は、メールマガジンの発行を中心に活動します。インターネットのメール形式で送付する会報メールマガジンは、毎月1日・15日の2回発行します。また郵送希望の場合は、メールマガジン2回分をまとめた月報を発行します。
▼会員から寄せられた情報は、メールマガジン・月報に掲載して共有化を進めます。また中世・近世初頭の調査依頼については、研究助成費及び実費にて承ります。
▼家系調査・系図作成については、近現代の調査に専門家を必要とするため、調査体制が整いましたら始めます。
▼会の運営については、ご意見をいただければ幸いです。
入会方法
▼ご希望の方は、別紙の要領で申し込み願います。
▼メールアドレスがある方はお知らせください。
佐々木哲学校主宰
佐々木哲
記
会費は1口5,000円で、1年間1口以上で、2口以上の場合は研究支援の賛助会員として登録いたします。また、振込先はゆうちょ銀行のほか、みずほ・東京三菱・三井住友銀行にも口座がございますので、問い合わせていただければお知らせいたします。
ゆうちょ振替口座 00150-1-761188
口座名義 佐々木哲(ササキ トオル)
(他金融機関から)
ゆうちょ銀行(0099) 預金種目 当座 店番号019
店名 〇一九(ゼロイチキユウ)店 口座番号 0761188
以上
この記事へのコメント
近日中に申し込みさせていただきます。
歴史に興味がある皆様へ
私は歴史好きでもズブの素人です。それでも興味を持って10年?ほど独学してきましたが、
佐々木哲先生の存在、先生から得た知識や考え方は相当大きなものです。
それは、佐々木氏というものを題材としていますが、根本的な見方や考え方の幅を広げてくれるものです。
では素人にとってその先に何があるのか?とゆうと・・・
さらに歴史がおもしろくなります。これは間違いありません。そして歴史が身近な存在に感じるようにもなります。史実をただ事実として楽しむのよいのですが、さらに史実を疑って自分なりに考察するのも楽しいものです。
先生の場合、どんな素人の方にでもわかりやすく解説してくれますし、また厳しい見方・考え方も教えてくれます。教科書は当然のことながら、ネットや著書でも知り得ないことまで勉強できます。歴史好きにはまたとない機会になるのではないでしょうか。
決して5千円は高くないですよ。中途半端に著書を購入しても2~3冊で五千円です。
興味のある方は是非是非ご賛同くださいませ。
勝手にでしゃばったことをして申し訳ありません。
歴史を学べば、自分に自信をつけることができます。新しい見方ができれば、歴史はさらに興味深いものになります。
先祖を調べることは自分探しであり、先祖を知れば自分がやるべきことを知ることができます。使命感が生まれます。故郷が好きになります。そして守りたいと思うようになります。
そのお手伝いができればと、わたしは願っています。
間宮氏について、貴殿より早速ご回答を頂き感激しております。
時間を見たら、深夜の2時過ぎであったことに、ご迷惑をお掛けしたのではと後悔致しました。
佐々木神社に「高木氏」の痕跡があったのは、新しい発見です。
何故なら、間宮信冬は別系統であり、元来京極氏に長年臣従した間宮の子孫だからです。
私の先祖は、若狭小浜藩士である間宮九左衛門の長男忠左衛門が津軽藩士として出仕したとの記録が、早稲田大学のデータベースにありました。
「小浜藩/藩士」で検索すると、川越藩家臣として勤務し、藩が小浜に転封し、再び小浜に戻ったとの記録があります。
小浜は、京極高次が関ヶ原の戦いの後賜った領地であり、祖先も近江~小浜まで長年に亘り、京極氏に仕えた。
理由は不明であるが、ある時お暇を願い出て許され、浪人したとの記載があります。
その後、長男が津軽藩に仕官し、九左衛門は川越藩に御奏者番として、54歳で出仕し小浜に転封、67歳でその生涯を閉じています。
この経緯から、先祖は近江から若狭まで長年京極氏に仕えて来たと思われます。
これ以上の質問はメールで対応させて頂いて宜しいでしょうか。
また、
1.貴殿は歴史家、作家、随筆家のいずれかです か。
2.調査依頼は実費で宜しいですか。
3.あまりに懐を広げすぎて、大変ではありません か、そんな印象を受けました。
4.不可解な情報が氾濫していて、信用出来る情報 が欲しいです。
そんな時、貴殿のブログを発見致しました。
5.貴殿の他にはこれ程精緻な解釈を見たことがあ りません。
伝承と記録の整合性は、意外と一致しているこ とが多いと感じています。
宜しくお願い致します。
あなたの家系が明らかになることで、これまでの間宮氏に関する通説が覆されるかもしれません。これまで後北条氏重臣の間宮氏が注目されていたため、これまで間宮氏の名字の地は伊豆国田方郡間宮村とされてきましたが、近江に名字の地がある可能性が出てきました。現在、滋賀県に間宮という地名はありませんが、多賀神社の所在地が多賀宮という意味から高宮という地名ができたように、近江国志賀郡真野郷にある神社(真野宮)という意味から間宮という名字が成立したのかもしれません。とても興味が湧きます。
移住先に名字の地の地名を付けることは、よく行なわれていました。もし間宮の名字の地が近江国真野郷ならば、移住先の伊豆国田方郡に間宮の地名を付けたのかもしれません。
もちろん関東の間宮氏が再び近江に帰り、京極氏に使えた可能性もあります。
メールを頂きましたら、連絡先をお知らせしますので、系図の複写(あるいは写真)を送ってください。京極氏と交流のあった六角兵部のことも究明できるかもしれません。こちらこそ、よろしくお願いします。
調査費用は研究支援と実費だけで十分です。ご心配なきよう願います。
さて、「近江佐々木氏の会」の件ですが、退会したつもりはないのですが、1年前から会報が届きません。電話もFAXも通じません。もしやとは思ったのですが、連絡の術もなく困っておりました。
昨日、時間が有ったので久しぶりに当blog様を訪問致しましたら、会の事が書いて有りましたので、もし何らかの事情で解散となっているようなら、こちらの会へ入会させていただこうかと思っています。
私も、しばらく山嵜氏とは連絡が取れなかったので心配していましたが、今年になり連絡が取れ、私が会を引き継ぐことになりました。それが、佐々木哲学校内に立ち上げた系図学校です。
ぜひ、当会にご入会願います。光延様にご入会いただければ、心強いです。
また私は近江佐々木氏の会会員のすべてを把握しているわけではないので、名簿がありましたら、複写を送っていただけますでしょうか。よろしくお取り計らいください
ではこちらの会へ入会させて下さい。二三日ほど忙しい日が続きますので、送金の日にちがはっきりわかりませんが、必ず週内に致します。
また、会員名簿は一番最終分をコピーして郵送致します。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
入金を確認次第、系図学校のバックナンバーをお送りしますので、住所・氏名・電話番号などの連絡先と、メルマガ受信用アドレスを、メールにてお知らせください。すぐに登録します。
また近江佐々木氏の会の会員名簿を郵送いただけるとのこと、ありがたく存じます。これで会員の皆さんと連絡が取れます。
では、今後とも宜しくお願いします。
今月(2004年3月)からメルマガが届かなくなりました。(継続用の会費は、先生からお知らせメールを頂戴して7日以内にすでに送金済です)
メールにて何度か問い合わせさせて頂きましたが、いまのところとくにご連絡なく、このままお待ちしていればよいのかどうか、わかりません。
(先生から直接のご紹介でメルマガ会員となりまして)いままでこうしたことがなかったため、
もしや、先生はご病気なのかと心配いたしております。
どなたか、アドバイスをいただけませんでしょうか。どうかよろしくお願い申し上げます。
メールで連絡をいただいてから、メールマガジンを再送・再再送し、また返信メールも送信していますが着いていませんか?
もしかしたら、そちらのメールフィルターに誤分類され、迷惑メールに紛れているかもしれません。ご確認ください。
もういちど明日にメールマガジンを送りしますので、メールフィルターの確認も願います。
今年2015年は北条氏康生誕500年なのですね。ところで戒名のことですが、北条氏康室の院殿号が瑞渓院で、重臣笠原信為妻の道号が瑞渓なのですね。同号には山・川・渓など土地に関する字がよく用いられますので、笠原信為妻の道号瑞渓も規則に基づいてつけられたと思います。また瑞もよく使用されます。そのため氏康室瑞渓院の院殿号を使用したしたものといえるか難しいです。
瑞渓院の逆襲が元亀2年(1571)11月21日で、没年が天正18年(1590)6月12日ですよね。笠原信為妻の没年はいつですか?
笠原信為の没年が弘治3年(1557)7月8日ですよね。笠原信為妻の没年も氏康室の逆修・没年より前であれば、目上の者が下の者の字をわざわざつけることはないので、偶然の一致と考えられます。
初めまして先祖のことを調べており、佐々木哲学校を知りメールさせて頂いております。
私の母方の先祖は、六角氏の分家にあたりるそうです。親族には尼子もおります。
織田家から逃れるために本家は城、我が先祖は重清と名を変えたと親から聞いています。
知りたいのは、私から見た初代は、六角家の誰だったのかということです。
佐々木家を証明出来るものは、尼子の家系図の写しかありませんが(オリジナルは戦争で焼失したそうです)。
佐々木という名前を隠して生きた為、資料がほとんど残っていないのですが、宜しくお願い致します。