メールマガジン「東大入試で教養」見本(改訂)
メルマガ「東大入試で教養」
~東大入試で大人の教養を身につけよう
毎月1日・15日発行
─────────────────────────────
【もくじ】
1.2007年東大入試前期・第4問:清岡卓行「手の変幻」の
概略~結婚という形
2.設問
3.解説と解答例
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
1.概略~結婚という形
詩におけるさりげないひとつの言葉、絵画におけるさりげない
一つのタッチ、そこに作者の思いが密かにこめられたとしても、
その重みは容易には鑑賞者の心に伝わらない。作品と鑑賞者が
なんらかの偶然でよほどうまく邂逅しないかぎり、ア〈その秘密
の直観的な理解はふつうは望めない〉。
しかし例外もあり、そこでは時代と個人的な作風との微妙な
緊張関係がうまく永遠化されている。たとえばレンブラントの
晩年のいくつかの作品に眺められる重厚な筆触の一つ一つは、
そこにこめられている経験の痛みをひしひしと感じさせる。
レンブラントのそうした作品の中から、『ユダヤの花嫁』を
選んでみよう。茶色がかった暗く寂しい公園のようなところを
背景に、新郎はくすんだ金色の、新婦は少しさめた緋色の、
それぞれいくらか東方的で古めかしい衣装をまとっている。
いかにもレンブラント風なこの色調の雰囲気の中で、筆触の一つ
一つの裏がわに潜んでいる特殊で個人的な感慨が、おおらかな
全体的調和をかもしだし、普遍性にまで高まる。この絵画に
おける永遠の現在の感慨の中には、見知らぬ古代におけるそう
した場合の古い情緒も、同じく見知らぬ未来におけるそうした
場合の新しい情緒も、イ〈ひとしく奥深いところで溶けあって
いるような感じがする〉。こうした作品を前にするときは、人間
の歩みというものについて、ふと、巨視的にならざるをえない
一瞬の眩暈を覚える。
ところで、ここで新郎と新婦の手の位置と形、そしてそれを
彩る筆触に最も心を惹かれるのは、きわめて自然なことだろう。
夫婦愛における男と女の立場の違い、そして性質のちがいを、
まことに端的に示しているようからだ。男の手は、女を外側から
包むようにして、所有、保護、優しさ、誠実さなどの渾然とした
静けさを現わし、女の手は、男のそうした積極性を今や無心に
受け容れることで、いわば逆の形の所有、信頼、優しさ、献身
などの溶け合った充実を示している。
賞嘆してやまないのは、この瞬間を選びとった、あるいは
そこに夥しいものを凝縮したレンブラントの透徹し、しかも
慈しみに溢れた眼光である。暗くさびしい現実を背景に、新しい
夫婦愛の高潮し均衡する、こよなく危うい姿がそこに描きだされ
ている。
それは過酷な現実によって悲惨なものにまで転落する危険性が
充分にあるというほどの意味である。その悲惨は、人間が大昔
から何回となく繰返してきた不幸である。しかし、この絵画に
かたどられている理想的な美しさは、ウ〈人間が未来にわたって
さらに執拗に何回となく繰返す希望といったものだろう〉。
レンブラントの『ユダヤの花嫁』のように時代を超えて人間の
永遠的なものを啓示している絵画を前にするとき、そこで成就
されている所有の高次な肯定――エ〈純粋な相互所有による腐敗
の消去法とでもいった深沈とした美しさの定着〉に、より強く
魅惑される。その美しさは危うく脆いかもしれない。しかし幸福
と呼ばれる瞬間の継起のために、可能なかぎり誠実であろうと
する愛の内容が、結婚という形式そのものであるような、まさに
内実と外形の区別ができない生の謳歌の眩さにある。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
2.設問
(一)「その秘密の直観的な理解」(傍線部ア)とあるが、
どういうことか、説明せよ。
(二)「ひとしく奥深いところで溶けあっているような感じが
する」(傍線部イ)とあるが、「ひとしく奥深いところで溶け
あっている」とは、どういうことか、説明せよ。
(三)「人間が未来にわたってさらに執拗に何回となく繰返す
希望といったものだろう」(傍線部ウ)とあるが、「執拗に何回
となく繰返す希望」とはどういうことか、説明せよ。
(四)「純粋な相互所有による腐敗の消去法」(傍線部エ)と
あるが、どういうことか、説明せよ。
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3解説と解答例
(一)傍線部アのある段落は二文しかない。傍線部のある文で、
よほどうまく出会わない限り望めないとものは、前文で容易には
鑑賞者の心に伝わらないものである。それは、詩における一つの
言葉や絵画における一つのタッチに込められている作者の思い
である。そして直観とは「何にも媒介されずに直接見る」ことで
ある。「作者が作品にこめた深い意味を、何にも媒介されること
なくそのまま理解すること。」とまとめるといい。
(二)接続詞もなく続く文章は言換えであり、ここでも傍線部イ
を含む文の前後を見るといい。まず前文である。いかにもレンブ
ラント的な色調の中で、筆触の一つ一つの裏に潜む特殊で個人的
な感慨が、おおらかな全体的調和をかもし出して普遍性にまで高
まる、という内容だ。ここで注目するのは、特殊性や個別性が
普遍性まで高まることである。さらに傍線部のある文だ。古代の
情緒と未来の情緒が、絵画という永遠の現在の中で溶け合うと
いう。このように過去においても未来においても共感され続ける
絵画が、普遍的な価値をもつ古典的名画といえる。さらに後の文
で、「こうした作品」を前にするとき、人間の歩みについて巨視
的にならざるをえない一瞬の眩暈を覚えると述べている。ここで
いう巨視的がやはり普遍的に対応する。「レンブラントの作品
では、過去の人物の思いと未来の人物の思いが時代を超えて一体
になる」とまとめるといい。
(三)傍線部ウで述べられている「希望」は、「ところで」で
始まる段落から続く、レンブラントの作品の内容を作者が解説
した段落群にある。その内容が、人びとが結婚に託す「希望」で
ある。ここで筆者が賞嘆するレンブラントの眼差しが切り取った
ものが、暗くさびしい現実を背景に、新しい夫婦愛が高潮し均衡
する姿である。そして「さびしい現実」とは、次の段落にある
「人間が大昔から何回となく繰返してきた不幸」である。「結婚
は不幸の始まりかもしれないが、これまでもこれからも繰り返し
結婚という形にこめられる男女の愛の高まり」とまとめよう。
(続きは第1号で)
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■ 発行元:佐々木哲学校:http://blog.sasakitoru.com/
著作権は、佐々木哲にあります。
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【もくじ】
1.2007年東大入試前期・第4問:清岡卓行「手の変幻」の
概略~結婚という形
2.設問
3.解説と解答例
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1.概略~結婚という形
詩におけるさりげないひとつの言葉、絵画におけるさりげない
一つのタッチ、そこに作者の思いが密かにこめられたとしても、
その重みは容易には鑑賞者の心に伝わらない。作品と鑑賞者が
なんらかの偶然でよほどうまく邂逅しないかぎり、ア〈その秘密
の直観的な理解はふつうは望めない〉。
しかし例外もあり、そこでは時代と個人的な作風との微妙な
緊張関係がうまく永遠化されている。たとえばレンブラントの
晩年のいくつかの作品に眺められる重厚な筆触の一つ一つは、
そこにこめられている経験の痛みをひしひしと感じさせる。
レンブラントのそうした作品の中から、『ユダヤの花嫁』を
選んでみよう。茶色がかった暗く寂しい公園のようなところを
背景に、新郎はくすんだ金色の、新婦は少しさめた緋色の、
それぞれいくらか東方的で古めかしい衣装をまとっている。
いかにもレンブラント風なこの色調の雰囲気の中で、筆触の一つ
一つの裏がわに潜んでいる特殊で個人的な感慨が、おおらかな
全体的調和をかもしだし、普遍性にまで高まる。この絵画に
おける永遠の現在の感慨の中には、見知らぬ古代におけるそう
した場合の古い情緒も、同じく見知らぬ未来におけるそうした
場合の新しい情緒も、イ〈ひとしく奥深いところで溶けあって
いるような感じがする〉。こうした作品を前にするときは、人間
の歩みというものについて、ふと、巨視的にならざるをえない
一瞬の眩暈を覚える。
ところで、ここで新郎と新婦の手の位置と形、そしてそれを
彩る筆触に最も心を惹かれるのは、きわめて自然なことだろう。
夫婦愛における男と女の立場の違い、そして性質のちがいを、
まことに端的に示しているようからだ。男の手は、女を外側から
包むようにして、所有、保護、優しさ、誠実さなどの渾然とした
静けさを現わし、女の手は、男のそうした積極性を今や無心に
受け容れることで、いわば逆の形の所有、信頼、優しさ、献身
などの溶け合った充実を示している。
賞嘆してやまないのは、この瞬間を選びとった、あるいは
そこに夥しいものを凝縮したレンブラントの透徹し、しかも
慈しみに溢れた眼光である。暗くさびしい現実を背景に、新しい
夫婦愛の高潮し均衡する、こよなく危うい姿がそこに描きだされ
ている。
それは過酷な現実によって悲惨なものにまで転落する危険性が
充分にあるというほどの意味である。その悲惨は、人間が大昔
から何回となく繰返してきた不幸である。しかし、この絵画に
かたどられている理想的な美しさは、ウ〈人間が未来にわたって
さらに執拗に何回となく繰返す希望といったものだろう〉。
レンブラントの『ユダヤの花嫁』のように時代を超えて人間の
永遠的なものを啓示している絵画を前にするとき、そこで成就
されている所有の高次な肯定――エ〈純粋な相互所有による腐敗
の消去法とでもいった深沈とした美しさの定着〉に、より強く
魅惑される。その美しさは危うく脆いかもしれない。しかし幸福
と呼ばれる瞬間の継起のために、可能なかぎり誠実であろうと
する愛の内容が、結婚という形式そのものであるような、まさに
内実と外形の区別ができない生の謳歌の眩さにある。
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2.設問
(一)「その秘密の直観的な理解」(傍線部ア)とあるが、
どういうことか、説明せよ。
(二)「ひとしく奥深いところで溶けあっているような感じが
する」(傍線部イ)とあるが、「ひとしく奥深いところで溶け
あっている」とは、どういうことか、説明せよ。
(三)「人間が未来にわたってさらに執拗に何回となく繰返す
希望といったものだろう」(傍線部ウ)とあるが、「執拗に何回
となく繰返す希望」とはどういうことか、説明せよ。
(四)「純粋な相互所有による腐敗の消去法」(傍線部エ)と
あるが、どういうことか、説明せよ。
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3解説と解答例
(一)傍線部アのある段落は二文しかない。傍線部のある文で、
よほどうまく出会わない限り望めないとものは、前文で容易には
鑑賞者の心に伝わらないものである。それは、詩における一つの
言葉や絵画における一つのタッチに込められている作者の思い
である。そして直観とは「何にも媒介されずに直接見る」ことで
ある。「作者が作品にこめた深い意味を、何にも媒介されること
なくそのまま理解すること。」とまとめるといい。
(二)接続詞もなく続く文章は言換えであり、ここでも傍線部イ
を含む文の前後を見るといい。まず前文である。いかにもレンブ
ラント的な色調の中で、筆触の一つ一つの裏に潜む特殊で個人的
な感慨が、おおらかな全体的調和をかもし出して普遍性にまで高
まる、という内容だ。ここで注目するのは、特殊性や個別性が
普遍性まで高まることである。さらに傍線部のある文だ。古代の
情緒と未来の情緒が、絵画という永遠の現在の中で溶け合うと
いう。このように過去においても未来においても共感され続ける
絵画が、普遍的な価値をもつ古典的名画といえる。さらに後の文
で、「こうした作品」を前にするとき、人間の歩みについて巨視
的にならざるをえない一瞬の眩暈を覚えると述べている。ここで
いう巨視的がやはり普遍的に対応する。「レンブラントの作品
では、過去の人物の思いと未来の人物の思いが時代を超えて一体
になる」とまとめるといい。
(三)傍線部ウで述べられている「希望」は、「ところで」で
始まる段落から続く、レンブラントの作品の内容を作者が解説
した段落群にある。その内容が、人びとが結婚に託す「希望」で
ある。ここで筆者が賞嘆するレンブラントの眼差しが切り取った
ものが、暗くさびしい現実を背景に、新しい夫婦愛が高潮し均衡
する姿である。そして「さびしい現実」とは、次の段落にある
「人間が大昔から何回となく繰返してきた不幸」である。「結婚
は不幸の始まりかもしれないが、これまでもこれからも繰り返し
結婚という形にこめられる男女の愛の高まり」とまとめよう。
(続きは第1号で)
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著作権は、佐々木哲にあります。
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