2012年東大前期国語第4問「ひとり遊び」
次の文章は歌人河野裕子の随筆「ひとり遊び」で、文中に挿入されている短歌もすべて筆者の自作である。これを読んで、後の設問に答えよ。
熱中、熱中、脇目もふらない懸命さ、ということが好きである。
下の子が三歳で、ハサミを使い始めたばかりの頃のことである。晩秋の夕ぐれのことで部屋はもううす暗かった。四畳半の部屋中に新聞紙の切りくずが散乱し、もう随分長いこと、シャキシャキというハサミを使う音ばかりがしていた。下の子は、切りくずの中に埋まって、指先だけでなく身体ごとハサミを使っていた。道具ではなくて、ハサミが身体の一部のようにも見えた。自分のたてるハサミの音のリズムといっしょに呼吸しながら、ただただ一心に紙を切っているのである。呼んでも振り向く様子ではなかった。熱中。胸を衝かれた。ア私は黙って障子を閉めることにした。夕飯は遅らせていい。
このようなことは、日常の突出点などでは決してなく、むしろ子供にとってはあたりまえのことなのではないだろうか。大人の個が、それを見過ごしているのである。大人たちは、子供の熱中して遊ぶ姿にふと気づくことがある。そして胸を衝かれたりもするのである。
しかし、と私は思う。大人の私が、子供たちが前後を忘れて夢中になって遊ぶ姿を、まま見落としているにしても、当節の、すこしも遊ばなくなった、といわれる子供たちに較べれば格段によく遊ぶうちの子供たちにしても、私自身の子供時代に較べれば、やはり今の子供たちは、遊びへの熱意が稀薄なように思われてならないのである。
子供時代に遊んだ遊びを思い出す。罐蹴り、影ふみ、輪まわし、石蹴り、砂ぞり遊び、鬼ごっこ、花いちもんめ、下駄かくし、数えあげればきりもない。これらはいずれも多くの仲間たちと群れをなして遊んだ遊びである。集団の熱意に統べられて遊んだ快い興奮を忘れることができない。
より多く思い出すのは、ひとり遊びのあれこれである。私が真に熱中して遊んだのは、ひとり遊びのときだったからである。集団遊びの場合は、何何遊びとか、何何ごっことか、れっきとした名前がついているのに、ひとり遊びはひとり遊びとしか言いようがない。よそ目には何をしているふうにも見えないが、その子供には結構楽しい遊びであることが多いからである。
しらかみに大きな楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす
(『桜森』)
おそらく子供は、ひとり遊びを通じて、イそれまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体のしれない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たすのであろう。世界といってしまっては、あまりに漠然と、大づかみに過ぎるというなら、人間と自然に関わる諸々の事物事象との、なまみの身体まるごとの感受の仕方ということである。その時の、鮮烈な傷のような痛みを伴った印象は、生涯を通じて消えることはない。生涯に何百度サルビアの緋を愛でようとも、幼い日に見た、あの鮮紅には到底及ぶものではないのと同じように。
ひとり遊びとは、自分の内部に没頭するという以上に、対象への没頭なのであろうと思う。川底の小蟹を小半日見ていてなお飽きない、というようなことがよくあった。時間を忘れ、周囲を忘れ、一枚の柿の葉をいじったり、雨あがりのなまあったかい水たまりを裸足でかきまわしたり、際限もなく砂絵を描いたりするのが子供は好きなのである。なぜかわからない。けれどそれらは何と深い、他に較べようもないよろこびだったことだろう。
菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき
ウ鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな
(『ひるがほ』)
菜の花畑でかくれんぼをしたことがあった。菜の花畑は、子供の鬼には余りに広すぎた。七歳の子供の探索能力を超えていたのである。私は鬼を待っていた。もう何十分も何時間も待っていたのだった。待つことにすら熱中できた子供時代。今始まったばかりの子供時代の、ゆっくりゆっくり動いてゆく時間に身を浸しているという、識閾にすらのぼらない充足感があったにちがいない。時代もまたそのように大どかに動く時間の中にたしかに呼吸していたのである。今日のように、自然性を分断された風景というものはなかった。大きな風景の中に、人間も生きていられたのである。菜の花畑の向こうにれんげ畑、れんげ畑のむこうに麦畑がああり、それらは遠く山すそまで広がっているはずだった。
子ども時代が終わり、少女期が過ぎ、大人になってからも、エずっと私はひとり遊びの世界の住人であった。何かひとつのことに熱中し、心の力を傾けていないと、自分が不安で落着かなかった。こうした私の性癖は、生き方の基本姿勢をも次第に決定して行ったようである。考え、計算しているより先に、ひたぶるに、一心に、暴力的に対象にぶつかって行く。幸か不幸か、現在の私は、実人生でよりも、歌作りの上で、はるかに強く意識的に、このことを実践している。歌作りの現場は、意志と体力と集中力が勝負である。歌作りとは、力業である。しかし一首の歌のために幾晩徹夜して励んだとしても、よそ目には遊びとしか見えないだろう。然り、と私は答えよう。一見役に立たないもの、無駄なもの、何でもないものの中に価値を見つけ出しそれに熱中する。ひとり遊びの本領である。
設問
(一)「私は黙って障子を閉めることにした」(傍線部ア)のはなぜか、考えられる理由を述べよ。
【解説】三歳の子供が夢中になってハサミで新聞を切っている様子を描写したうえで、傍線部ア「私は黙って障子を閉めることにした」とある。その直前に「熱中」、その直後に「夕飯は遅らせていい」とあるから、熱中している子供の邪魔をしないためであるのは明らかだろう。
【解答例】ハサミを使い始めて夢中になっている子供のひとり遊びを邪魔しないように。
(二)「それまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体の知れない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たす」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
【解説】筆者は、子供はひとり遊びを通じて、傍線部イ「それまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体のしれない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たす」と述べており、その直後で「なまみの身体まるごとの感受の仕方」、そして「その時の、鮮烈な傷のような痛みを伴った印象は、生涯を通じて消えることはない」と述べる。では、実際に暗い体験かというと、そうではなく、暗い中で見えた一筋の光明、つまり啓蒙という意味であろう。自分の周囲のことしか知らなかったが、初めて知ったものに光を見出し夢中になると解釈できよう。また、「痛み」とあることから、大人への第一歩と解釈してもいい。
【解答】それまで知らなかったものを知ったことで、自分の世界が広がり夢中になるということ。
(三)文中の短歌「鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな」(傍線部ウ)に表現された情景を、簡潔に説明せよ。
【解説】短歌「菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき」が挿入され、傍線部ウ「鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな」と続く。この情景は、次の段落で分かる。
菜の花畑でかくれんぼをしたときのこと、菜の花畑は子供の鬼にはあまりに広いため、筆者は何十分も何時間も待たされた。しかし待つことにすら熱中できたのである。「なのはなのはな」と言葉遊びをしていたのだろう。「ひとり遊び」としてもいいし、「ひとり言葉遊び」としてもいい。
【解答例】菜の花畑での鬼ごっこでなかなか見つけられなかったが、待っている間もひとり遊びに熱中できたということ。
(四)「ずっと私はひとり遊びの世界の住人であった」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。
【解説】筆者は子供から思春期、そして大人になってからも、「ずっと私はひとり遊びの世界の住人であった」という。このことを、筆者は歌作りでとくに強く意識しているという。この傍線部のある最後の段落で、筆者は一見役に立たないものや無駄なものの中に価値を見つけ出し、それに熱中するのは、まさに歌作りの本分と述べている。
【解答例】大人になっても一見役に立たないものに価値を見出して、そのことに夢中になれるということ。
熱中、熱中、脇目もふらない懸命さ、ということが好きである。
下の子が三歳で、ハサミを使い始めたばかりの頃のことである。晩秋の夕ぐれのことで部屋はもううす暗かった。四畳半の部屋中に新聞紙の切りくずが散乱し、もう随分長いこと、シャキシャキというハサミを使う音ばかりがしていた。下の子は、切りくずの中に埋まって、指先だけでなく身体ごとハサミを使っていた。道具ではなくて、ハサミが身体の一部のようにも見えた。自分のたてるハサミの音のリズムといっしょに呼吸しながら、ただただ一心に紙を切っているのである。呼んでも振り向く様子ではなかった。熱中。胸を衝かれた。ア私は黙って障子を閉めることにした。夕飯は遅らせていい。
このようなことは、日常の突出点などでは決してなく、むしろ子供にとってはあたりまえのことなのではないだろうか。大人の個が、それを見過ごしているのである。大人たちは、子供の熱中して遊ぶ姿にふと気づくことがある。そして胸を衝かれたりもするのである。
しかし、と私は思う。大人の私が、子供たちが前後を忘れて夢中になって遊ぶ姿を、まま見落としているにしても、当節の、すこしも遊ばなくなった、といわれる子供たちに較べれば格段によく遊ぶうちの子供たちにしても、私自身の子供時代に較べれば、やはり今の子供たちは、遊びへの熱意が稀薄なように思われてならないのである。
子供時代に遊んだ遊びを思い出す。罐蹴り、影ふみ、輪まわし、石蹴り、砂ぞり遊び、鬼ごっこ、花いちもんめ、下駄かくし、数えあげればきりもない。これらはいずれも多くの仲間たちと群れをなして遊んだ遊びである。集団の熱意に統べられて遊んだ快い興奮を忘れることができない。
より多く思い出すのは、ひとり遊びのあれこれである。私が真に熱中して遊んだのは、ひとり遊びのときだったからである。集団遊びの場合は、何何遊びとか、何何ごっことか、れっきとした名前がついているのに、ひとり遊びはひとり遊びとしか言いようがない。よそ目には何をしているふうにも見えないが、その子供には結構楽しい遊びであることが多いからである。
しらかみに大きな楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす
(『桜森』)
おそらく子供は、ひとり遊びを通じて、イそれまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体のしれない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たすのであろう。世界といってしまっては、あまりに漠然と、大づかみに過ぎるというなら、人間と自然に関わる諸々の事物事象との、なまみの身体まるごとの感受の仕方ということである。その時の、鮮烈な傷のような痛みを伴った印象は、生涯を通じて消えることはない。生涯に何百度サルビアの緋を愛でようとも、幼い日に見た、あの鮮紅には到底及ぶものではないのと同じように。
ひとり遊びとは、自分の内部に没頭するという以上に、対象への没頭なのであろうと思う。川底の小蟹を小半日見ていてなお飽きない、というようなことがよくあった。時間を忘れ、周囲を忘れ、一枚の柿の葉をいじったり、雨あがりのなまあったかい水たまりを裸足でかきまわしたり、際限もなく砂絵を描いたりするのが子供は好きなのである。なぜかわからない。けれどそれらは何と深い、他に較べようもないよろこびだったことだろう。
菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき
ウ鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな
(『ひるがほ』)
菜の花畑でかくれんぼをしたことがあった。菜の花畑は、子供の鬼には余りに広すぎた。七歳の子供の探索能力を超えていたのである。私は鬼を待っていた。もう何十分も何時間も待っていたのだった。待つことにすら熱中できた子供時代。今始まったばかりの子供時代の、ゆっくりゆっくり動いてゆく時間に身を浸しているという、識閾にすらのぼらない充足感があったにちがいない。時代もまたそのように大どかに動く時間の中にたしかに呼吸していたのである。今日のように、自然性を分断された風景というものはなかった。大きな風景の中に、人間も生きていられたのである。菜の花畑の向こうにれんげ畑、れんげ畑のむこうに麦畑がああり、それらは遠く山すそまで広がっているはずだった。
子ども時代が終わり、少女期が過ぎ、大人になってからも、エずっと私はひとり遊びの世界の住人であった。何かひとつのことに熱中し、心の力を傾けていないと、自分が不安で落着かなかった。こうした私の性癖は、生き方の基本姿勢をも次第に決定して行ったようである。考え、計算しているより先に、ひたぶるに、一心に、暴力的に対象にぶつかって行く。幸か不幸か、現在の私は、実人生でよりも、歌作りの上で、はるかに強く意識的に、このことを実践している。歌作りの現場は、意志と体力と集中力が勝負である。歌作りとは、力業である。しかし一首の歌のために幾晩徹夜して励んだとしても、よそ目には遊びとしか見えないだろう。然り、と私は答えよう。一見役に立たないもの、無駄なもの、何でもないものの中に価値を見つけ出しそれに熱中する。ひとり遊びの本領である。
設問
(一)「私は黙って障子を閉めることにした」(傍線部ア)のはなぜか、考えられる理由を述べよ。
【解説】三歳の子供が夢中になってハサミで新聞を切っている様子を描写したうえで、傍線部ア「私は黙って障子を閉めることにした」とある。その直前に「熱中」、その直後に「夕飯は遅らせていい」とあるから、熱中している子供の邪魔をしないためであるのは明らかだろう。
【解答例】ハサミを使い始めて夢中になっている子供のひとり遊びを邪魔しないように。
(二)「それまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体の知れない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たす」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
【解説】筆者は、子供はひとり遊びを通じて、傍線部イ「それまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体のしれない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たす」と述べており、その直後で「なまみの身体まるごとの感受の仕方」、そして「その時の、鮮烈な傷のような痛みを伴った印象は、生涯を通じて消えることはない」と述べる。では、実際に暗い体験かというと、そうではなく、暗い中で見えた一筋の光明、つまり啓蒙という意味であろう。自分の周囲のことしか知らなかったが、初めて知ったものに光を見出し夢中になると解釈できよう。また、「痛み」とあることから、大人への第一歩と解釈してもいい。
【解答】それまで知らなかったものを知ったことで、自分の世界が広がり夢中になるということ。
(三)文中の短歌「鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな」(傍線部ウ)に表現された情景を、簡潔に説明せよ。
【解説】短歌「菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき」が挿入され、傍線部ウ「鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな」と続く。この情景は、次の段落で分かる。
菜の花畑でかくれんぼをしたときのこと、菜の花畑は子供の鬼にはあまりに広いため、筆者は何十分も何時間も待たされた。しかし待つことにすら熱中できたのである。「なのはなのはな」と言葉遊びをしていたのだろう。「ひとり遊び」としてもいいし、「ひとり言葉遊び」としてもいい。
【解答例】菜の花畑での鬼ごっこでなかなか見つけられなかったが、待っている間もひとり遊びに熱中できたということ。
(四)「ずっと私はひとり遊びの世界の住人であった」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。
【解説】筆者は子供から思春期、そして大人になってからも、「ずっと私はひとり遊びの世界の住人であった」という。このことを、筆者は歌作りでとくに強く意識しているという。この傍線部のある最後の段落で、筆者は一見役に立たないものや無駄なものの中に価値を見つけ出し、それに熱中するのは、まさに歌作りの本分と述べている。
【解答例】大人になっても一見役に立たないものに価値を見出して、そのことに夢中になれるということ。
この記事へのコメント
赤本・青本・25年などがあまりアテにならない中、
唯一の巧妙です。
御手の開いたときで構いません。宜しくお願いします。
東大前期国語第1問・第4問(現代文)の解答例は、東大受験生からとても需要がありますので、ご要望には必ず応えます。心配されませんよう願います。
現在2010年・2011年のものを公表していませんので、順次公表しましょう。月1年分ずつ公表していきますので、もうしばらくお待ちください。
この黄金週間中に2011年第1問を講評します。