2015年東大後期総合科目Ⅲ・解答と解説

解説
第一問
東大では、二〇一〇年八月二十五日にハーバード教授マイケル・サンデル氏を招いて「正義」をテーマに白熱講義がおこなわれた。また二〇一一年冬学期には「正義を問い直す」というテーマで学術俯瞰講義(全十三回)が行われ、第十一回はサンデル氏が講義した。
【問一】正義と不正に対する人びとの反応の違いの理由を問う問題だ。注目できるのは、正義を冷静に批判する人が、不正を糾弾するときには熱くなると述べられている箇所だ。これを形式的概念を超えた、心の奥底にあるものの吐露と捉えると、正義理念が見える。最終段落の意味が理解できるはずである。
【問二】第一次世界大戦前は無差別戦争観が唱えられ、戦争に正義も不正義もなく、国家は権利として戦争ができると考えられた。そこで第一次・第二次世界大戦後の戦争を例に挙げた。現代の国際社会は二度の世界大戦を反省して戦争を違法と見なした上で、個別的自衛権、集団的自衛権、国連が認めた武力制裁を例外とした。そのため、テロと結んで大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家と戦うイラク戦争は、「国際社会を守る」という正義を盾にした戦争といえる。第二次世界大戦を例に挙げることもできる。「対ファシズム」という正義を有していたからである。

第二問
カフカの『変身』をこのように解釈できるのと納得した受験生は多いだろう。イモムシのように転がっている死にゆく私である。少子高齢社会の日本が抱える問題であり、誰もが迎える問題である。
【問一】「正義」に関する第一問と関連付ければ、生活を立て直す父親の立場を残忍なものと否定しきれなくなる。母も最初のうちは助けを求めるが、助けられないと知ると不幸を嘆くだけで何も対処しない。そして妹グレーテが彼を介護した。妹は無意味さを考えないようにしながら介護したが、疲れ果て介護の質は低下した。ここに介護疲れの問題を見ることができる。
【問二】「正義」について論じた第一問との関連付けると、「害虫としての生」の問題を医療・介護の問題だけではなく、広く社会の問題として論じることができよう。そして具体例を探すと、試験日直前の十一日の東日本大震災の追悼式典が思い出す。原発再稼働の動き、追悼式典と黙祷、今なお仮設住宅に住む避難民を支援する地元の苦しみである。わたしたちにできることは、彼らが存在意義を見出せるようにすることである。

解答例
第一問「正義概念と正義観」
【問一】
強い誘惑に負けずに正義を実現することは難しく称賛に値する。しかし真似できないがゆえに、実は偽善だと冷ややかに見られる。さらに認識論的見地からも、正義は絶対的なものではなく、相対的なものだと批判される。しかし、そのような批判者たちでさえ不正に対しては熱く語る。実は、この冷たさと熱さの違いが非対称性の原因である。
正義について論じるとき、実は二通りの問いができる。「正義は何か」という問いは、多くの正義に共通する普遍性を見出そうとするものであるのに対して、「何が正義か」という問いは、特定のものを正義と見なすということである。個々の正義に対する懐疑と、すべての人びとに共通する不正への怒りという正義理念はまったくの別物といえる。
人びとが熱く不正を糾弾するとき、実は不正義を許さないという正義理念を有していることを吐露している。正義観が個々の社会・文化を背景とする相対的なものであるにもかかわらず、普遍的であるように語られる。それに対して、怒りの感情のもとである正義理念は、人間に共通の倫理的熱情である。このちがいが、人びとの正義と不正に対する「非対称性」の理由といえる。

【問二】
現代の国際社会は、二度の世界大戦を反省して戦争を違法と見なしているが、個別的自衛権、集団的自衛権、国連が認めた武力制裁などは国際法上許される戦争とされている。
では、二〇〇三年のイラク戦争はどうだろうか。同時多発テロの首謀者と見なされたウサマ・ビン・ラディンと、イラクのサダム・フセイン大統領を結びつけ、そのイラクが大量破壊兵器を有していると訴え、国連安保理の承認もないまま米英連合軍は開戦した。
米国ブッシュ政権は開戦の理由について、大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家イラクの脅威から国際社会を守るためと説明した。「平和」「国際社会を守る」という正義を盾にしたのである。
しかし開戦理由だった大量破壊兵器は発見されず、大量破壊兵器の情報は虚偽だったことが後に明らかになった。
第一次世界大戦を経験した第二次世界大戦でも、多くの戦争では「自衛戦」と主張された。第二次世界大戦も「対ファシズム」を正義の盾にして、戦犯裁判も行われた。しかし東京大空襲や原爆を思うと、正義であれば相手に何をしても許されると考えるところに、正義の危うさがある。

第二問
【問一】
生き物はいずれ死ぬ。どんなに周囲から愛されようとも、社会から必要とされていようとも、その状態はやがては終るという期間限定のものである。しかもその期間は、生物的生死と必ずしも一致するわけではなく、社会的死と生物的死がずれることはある。このずれの期間を「害虫としての生」ということができる。ここに問題が生じる。
「害虫」に変身したグレーゴルに、父親は暴力を振るう。父親は早く生活を建て直そうと、有害無益な存在を排除しようとした。
母はまず医師にすがろうとしたが、息子に手の施しようがないと分かると、もはや死んだものと見なして、正面から向き合わず不幸を嘆くのみであった。
そして妹グレーテが彼を介護した。妹は無意味さを考えないようにしながら介護したが、疲れ果て介護の質は低下した。
グレーゴルは「害虫」になることで、その存在を否定され、介護の対象になる。グレーゴルは、生きながらにして社会的に死んだ状態であり、本人に意識があれば、自分の運命を呪うとともに、他人に迷惑をかけ続ける自分を責めながら、その絶望状態が永久に続くように感じられるだろう。

【問二】
「害虫としての生」を考えると、東日本大震災とそれにともなう津波、福島第一原発事故を思い出す。はやく原発を再稼働させたいと日本経済と、三月十一日に行われる追悼式典、そして今なお仮設住宅に住んでいる避難民を支える人びと、まさにグレーゴルの父と母、妹に重ね合わさる。
早く日本経済を震災から立ち直らせたいという人びとは、原発再稼働を主張する。現在の発電は火力発電が中心であり、深刻な貿易赤字と、温室効果ガスの排出による地球温暖化対策の遅れを訴える。父の立場である。
また三月十一日の追悼式典・黙祷は母の立場である。追悼式典には三月十一日を忘れないという意味があるが、また死者を追悼するものであり、震災をすでに過去のものと見なす装置になっている。
それに対して避難住民を支える地方自治体やボランティアは妹の立場である。現在もある被害に対処している地方公務員の多くが疲れ果てている。
わたしたちにできることは、彼らの話を聞き、その記憶を社会の役に立て現在の生に意義をもたせ、彼らを支援する者を支援して一部のみに負担をかけないことである。

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