2010年東大前期・国語第1問「個人のプライバシーのありか」 個人の本質はその内面にあるとみなす私たちの心への(あるいは内面への)信仰は、私生活を重要視し、個人の内面の矛盾からも内面を推し量ろうと試みてきた。もちろん、このような解釈様式そのものは近代以前からあったかもしれない。しかし近代ほど内面の人格的な質が重要な意味をもち、個人の社会的位置づけや評価に大きな影響力をもってさようしたことはなかった… トラックバック:0 コメント:5 2014年10月20日 受験 東大現代文 哲学 続きを読むread more
2010年東大前期・国語第4問「詩人に必要なもの」 極めて常識的なことだが、もし詩人が自ら体験し、生活してきた事からだけ感動をひきだし、それを言葉に移すことに終始していたならば、ア詩人なんてものは、人間にとって、あってもなくても一向にさしつかえのないつまらないものになるだろう。詩が私たちに必要なのは、そこに詩人の想像力というものがはたらいているからであって、それが無いと、謂うところの実感… トラックバック:0 コメント:0 2014年10月20日 受験 東大現代文 哲学 続きを読むread more
2011年東大前期国語第1問「河川の風景をつくる」 河川は人間の経験を豊かにする空間である。人間は、本質的に身体的存在であることによって、空間的経験を積むことができる。このような経験を積む空間を「身体的空間」と呼ぼう。河川という空間は、「流れ」を経験できる身体的空間である。 河川の体験は、流れる水と水のさまざまな様態の体験である。と同時に、ア身体的移動のなかでの風景体験である。河川の整… トラックバック:0 コメント:2 2014年05月09日 受験 東大現代文 哲学 続きを読むread more