久留里藩主黒田家の系譜

 一般に宇多源氏佐々木氏庶流黒田氏というと外様大名の筑前福岡藩主黒田家が有名だが、実は譜代大名である久留里藩主黒田家も先祖が近江出身であり、宇多源氏佐々木氏庶流黒田氏の子孫の可能性がある。  『寛政重修諸家譜』によれば久留里藩主黒田家の家系は、戦国末期の大橘定綱(信濃守)に始まり、定綱の子広綱のとき黒田氏に改めたという。寛政譜では黒田…
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2012年東大後期・総合科目Ⅲ・第2問

第二問「神仏習合」 問1「日本の基層信仰の特色」(500字[20×25]以内) 【解答例】 神道は、日本書紀用明天皇紀で仏教と対照的に用いられた語で、その内容は多様であった。 縄文文化の土偶はバラバラの状態で発見されるが、記紀で食物神の各部位から様々な作物の芽が出たという記述があるように、食物神の各部位をバラバラにして各所に埋め…
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2012年東大後期・総合科目Ⅲ・第1問

第一問「政治と美術」 問1「ワイマール共和国の歴史」(500字[20×25]以内) 【解答例】 第一次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国で、一九一九年にワイマールで開かれた国民会議でワイマール憲法を制定したため、ワイマール共和国とも呼ばれた。ワイマール憲法には生存権の保障の規定があったが、大統領の緊急命令発布権に関する規定…
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わが家の歴史

●父方の佐々木与右衛門家(隅立て四つ目結、替紋は桐紋、女紋は三つ柏)は近江守護佐々木六角氏出身で、系譜では織田信長と対抗して毛利氏に頼った源義秋(綱秋)の子源義房(綱房)に始まるという。江戸期には廻船問屋を家業とする郷士で、上方から出羽に移り、480町歩の新田を開発した。屋号は「ヤマヨ」、のれんは「蔦紋(葉桐紋)」。  出羽に転出後、…
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研究支援のお願い

当ブログでは多くの質問をいただきます。しかし副業に忙しく十分な回答ができないのが現状です。また回答するのに必要な知識は大切な知的財産であり、その知識を得るのに労力と時間と経費をつぎ込んでいます。大学人であれば国の補助金を受けている大学から研究費を給付されているのですから、その知識には公開の義務もあるでしょう。しかし副業をしなければ生活の…
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田中・山崎・永田氏の系譜―高島七頭(4)

田中氏の系譜  高島郡田中郷の所職は、もともと「田中入道」と呼ばれた山崎憲家(沙沙貴神社所蔵佐々木系図)の子孫が有していたと考えられる。田中入道憲家は「源行真申詞記」に登場する愛智家次(愛智秦氏か)の弟で、その子孫が山崎氏を名乗った。本佐々木氏では紀道政の一族である真野時家が船木に移住して船木氏を名乗り、さらに若狭に転出するなど、平安…
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非AのA

よく「無AのA」の形の言葉を見聞きします。「無知の知」、「無分別の分別」、「無関係の関係」といった言葉はネットで検索するまでもなくよく使われます。「無信仰の信仰」という言葉を作って自著のタイトルにしている人もいます。ところで、この形は何を表わしているのでしょうか?逆説とか弁証法を表わしているのでしょうか?Aに入る言葉には共通性があるでし…
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当ブログの参考文献の扱いについて

 当ブログでは、記事の読みやすさから注や参考文献を必要最小限にとどめています。基準は①文言を引用した場合、②独自の意見・主張である場合です。そのため資料に基づいて記している場合には、資料名は記しますが、資料を掲載・紹介しているだけの文献をひとつひとつ記すことはしません。お問い合わせがあった場合にはお答えします。  このように独自性を基…
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木地師小椋氏の系譜(4版)―清和源氏満季流と本佐々木氏

 木地師は、戦国期に近江守護佐々木六角氏の支配下にあって甲賀銀山の開発を担っていた。その木地師の統括者であった小椋氏が、鎌倉幕府草創期には近江守護佐々木氏の郎党であったことが、九条兼実の日記『玉葉』や鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』で分かる。  建久二年(1191)四月近江守護佐々木定綱と山門が抗争した。前年近江に大水害があり、多くの荘園が年…
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大連立構想を笑う―まさに啓蒙の野蛮化

西岡武夫参院議長は6月6日の記者会見で、赤字国債発行のための特例公債法案の成立と引き換えによる内閣総辞職を求めた(産経新聞2011.6.6 16:13)。 西岡氏の言うとおり、菅直人首相の存在が震災対応を遅らせたのであり、今現在も原発事故収束にめどが立たないのである。 また菅首相と鳩山由紀夫前首相が交わした覚書3項目が、①民主党を壊…
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